本当に残酷なのは、どれ?

お前、何にもわかってねぇなぁ!


画面を見つめる私は、一瞬でやめて!!!と心で叫んだ。わかってる。わかっているから。
でも、ドラマ『カルテット』の中に出てくるその男は、同じ店に自分の奥さんが居るのを知らずに、後輩に向かって、奥さんのことをどう思ってるかハッキリと吐くように告げた。


愛してるよ。愛してるけど、好きじゃねえんだよ!


ああ、言葉にしないでってば!

画面を見る目をつぶしたい。聞こえる鼓膜を破りたい。だって、私はその吐くような気持ちををよくわかる。

言った自分が、思ってしまった自分が立ち尽くしてしまうほど、深く奥の方で、

解っている。




最近、ある人に勧められた「カルテット」を見ていた。

2017年の初めにやっていたものだ。カルテットがさぁ、と話を始める私に、なんで今さら?とたくさんの人が訝しげな顔をしたが、今見て良かったと思う。

上のセリフは、主人公の一人であるヴァイオリニストの女性と、その旦那さんが“どうやって離婚するに至ってしまったのか”というのを描くシーンで語られるセリフだ。


私自身は結婚さえも未経験なので、離婚など、したことはない。


でも、見れば見るままに、おなじだ、と思った。

この前まで12年間一緒にいた彼に、最後同じことを思っていた。



もっと歳を重ねてない時には、恋愛の場合、「好き」の延長線上にしか「愛してる」はないと思っていた。

誰かのことを好きと思って、相手とも通じ合って一緒にいることになれば、そこから線路は始まる。小さなトロッコみたいなのに乗って、カタカタと少しずつしか進めない線路だ。

その線路は、とんでもない上り坂もあれば、勢いの止まらない下り坂もある。長く薄暗いトンネルを通ることもあれば、かなりガタガタで進むのをやめてしまいたくもなる。

でも、その線路の傍らにはいつもきれいな花が咲いている。長く暗いトンネルにも先には光があることを期待できるし、何だったら、トンネルをぶち破る力さえ、恋する2人にはある。

そのうちそれは、軽快に進む線路じゃなくて、歩く道に変わる。二人で手をとって道に降りて歩き始める。線路の最初にあったような花畑こそないにしろ、いつも柔らかい光がある道だ。アップダウンも激しくないし、暑くもなく、寒くもない。線路にいたときよりもゆっくりと、手を取って進む。ときには手を離しても、近くで相手の笑顔を見れれば自分も優しい気持ちになる。そんな道。

花の咲く線路は恋、光の道は愛だ。道の上で振り返ると必ず後ろには線路がある。

あるはずだった。そんなイメージで、そういう愛しかないと思っていた。


12年間一緒にいたその彼と過ごす中でふと気づくと、私が歩いている道の後ろには線路がなくなっていた。私はまだ確かに、愛の道の上にいたけれど、恋の線路はぽっくりと無くなっていた。ふと横を見ると、彼は以前の道を歩いていて、手は完璧に離れている。ねぇ、私たち、別の道にいるかも。彼にそれとなく言ってみたが、彼は気づかない。今なら、戻れるのかも!大きな声をかけて、止まって話そうと言ったが、彼は止まろうとはしなかった。認識の違いも、できることの限度も、 持つ危機感の大きさも、全てがすれ違っていた。


どうしてそうなったかは、分からない。いや、数えようとしてもキリがない。私は気づくと、はっきり口にしていた。あなたのことは大切です。とても。でも、好きだとか、恋のきもちだけがなくなっちゃったの。

彼は永遠に、それについて答えなかった。



何ヶ月も経った頃、彼との共通の友人から連絡がきた。


「あいつのとこに戻らないのか」

ハッキリと、遠慮のない中国語で彼は告げた。

「もう、一寸たりとも思い出さないのか?」

そうだよ、と言いかけて私はふと気づく。いや、ちがう。

1日たりとも想い出さない日なんて今までに一度もなかった。毎日のように考えるそれは、単なる習慣と言われたらそれまでだけど、それとも少し違う。

「彼を、想い出さない日なんてないよ。でも、会いたいとか抱きしめたいとかじゃないの。彼のことが一番好きだった頃を思い出すと、あんなに人を好きになることはないと思うけれど、もう私が幸せにしたいじゃないの。一緒にいたいと思えないんだよ。一回そう思うと、戻ることはもうない。ぜったいに。そう思う私が、戻ってどうにかなる?私は、この気持ちを抱えて生きる。彼は、私があんなに好きになった人だ。彼に恋い焦がれ、一緒にいたいと愛してる人に絶対会えると信じてる。」

自分で言って、複雑すぎて涙が出た。
好きの延長ではない、愛しているがここにあった。でもそれはなんて。なんて、戻りの効かないことなのか。


それを聞いて涙した友人は言った。

「お前が毎日あいつを思い出すことも残酷だし、若いからと前に進もうとする力もまた、残酷だ。でも、仕方ないんだな。それもまた希望なんだ。」


本当に、残酷なのは、一体全体誰だろう。

奥さんに愛してるけど好きじゃないことがバレて失踪した旦那だろうか?

気持ちがなくなった瞬間、彼との関係を反故にした私だろうか?

その私に彼と戻れと迫った友人だろうか?


残酷さっておしはかれない。

愛の話はとりとめもない。

残酷さと希望はセットなんだろうか。


ここまで書いても、言語化がうまくできない

いまだなんともできない考えを抱えている秋の始まりである。

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ちぃころ
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