痛くて初めて
この数ヶ月、かつてないほどの頭痛が毎日ある。
頭痛がずっと頭の中にある状態は、予想以上に自分で自分を甘やかし、何よりも痛みの解消が最優先になる。今までこんなに痛くならないかぎり、自分の体に目を向けなかったなんて驚きだし、そのことより気にしてた不安があったなんて驚きである。あんなに寝なかったのに、今は仕事も時短にして、10時間ほどベッドにいる。こうやって普通に生活ができなくなって初めて、自分というものに向き合うのである。ただの眠気をちょっとの根性でやり過ごすのとは違う、このままでは私はダメになると濁さずに体が訴えているのである。
ならば、自分に向き合わなかった、普通だと思っていた、あの日々は何なのだろう?
頭痛があると自分が最優先になった。辛い時は遠慮せず無理をしない。(何に遠慮してたんだろう?)根性を忘れる。目を瞑る。音を消す。無になれるだけ無になり、死んだように生きる。ここまでかくと誰かに心配されてしまうほど悲惨である。ただ、その痛みの奥にはわずかながら幸せがあった。自分のこと以外の不安や心配事なんてどうでも良くなってくることが一種の解放感があって幸せさえ感じるのだ。何かの不安がよぎっても、『いや、今の私の最優先は頭痛の改善である』と思うとどうでも良い。全て何でもどうでも良すぎる。自分が1番大切なのは自分で、まずそこからだと生まれて初めて心の底から思えている。
頭痛を和らげる倍音を聴きながら、私は自分の中を旅する。その世界は美しいグラデーションである。白が限りなく薄い青となり、境界線を辿るように淡い珊瑚色がとろけ合う。そのグラデーションが空いっぱいに広がり、地平線は人肌より少しだけ温かなお湯が地上5mmだけ張っている。そのお湯に空のグラデーションが反射しまた密かに色の移りを映し出す。その世界に私はたった1人裸で寝転ぶ。頭痛にならなければこの世界に出会うこともなかったのかもしれない。
元気な時を思い出せない今、それは思い出さないだけなのかもしれない。
不思議な痛み、幸せを訴える痛み。