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幸せの音

コッ、コッ、チャシャッ....

一人暮らしの白い天井の朝、卵を割る音で目が覚める。えっと...いま何時だっけ.. 昼前だから、まだ日差しが鋭くない。

私だけのはずの部屋に、合鍵を持った彼が来ていることはすぐに分かった。扉の向こうのキッチン。すりガラス越しに映った姿で、静かに料理を始めている。

私を起こす前に何かを作ってくれているのかぁ..寝ぼけながらそう思う。まだ半分も目が開いていないから、もう一度目を閉じて静かな音に耳を澄ます。菜箸で卵をかき混ぜる液音。何かを切った包丁がまな板にぶつかる垂直な音。

あ。
私は思った。幸せの音だこれ。

聞いたことあるなんだなぁ.. そうだ、小さい頃のお母さんの音。平日はお弁当を作る音、休日はブランチを作る音。こんな感じの音に囲まれて起きるか起きないかの狭間を彷徨う幸せ。垂直な音から、焼き目がつくジュージューという音に変わったら、もうすぐできる合図。それまでにゆったり目を覚まし、お皿を並べにいこう。

思い出した瞬間、止まらない幸福感が溢れ出す。淡いクリーム色の泡や空気となって、甘く、今の私を包んでいく。いまやっと分かったよ、お母さん。ご飯を作る音の中で微睡むなんて、この世で最高級の贅沢だったんだなぁ。取り戻せない可能性もあった種類の幸せ。

やっと起き上がり、彼の名前をよぶ。はぁーいー。彼の返事。目を擦ってキッチンへの扉を開けた。
ふんわりと、優しい焦げ目のついた卵トースト。チーズとハムが挟まって、端っこからトロンと溶けて顔を出している。


「起こす前に作ってくれたの?」
「うん。喜んでくれる気がしたの。」


彼が蘇らせ、思い出した幸せが今のしあわせと混ざり合って目の前にある。窓から反射した光が真っ直ぐ斜めに入る。私の頭を撫でてくれた彼の手が、そこに照らされている。

焼き上がったトーストをもったいなくてしばらく眺める。早く食べた方が美味しいのもわかっているし、でも早々と思い出になってほしくはなくて。忘れたくない、幸せを二度と。どうやって返して行こう。そんな豊かな気持ちを、美味しさいっぱいに感じていた。




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ちぃころ
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