瀬戸内海に戻ってきた。戻って来れた。
UターンとかIターン、Jターン?この言葉があまりしっくりこないので、あえて使わないけど、人に説明するときは面倒なので、逆Jターンとでも言っておこう^^
36年ぶりに生まれ育った瀬戸内海に帰ってきました。帰ってこれました。場所は生まれ育った島を少し通り過ぎた江田島。周りの町と合併して江田島市になっていた事も、最近まで知らなかった位、当初はあまり興味が無かった島。
13年前に、北海道に移住した時、やりたい事一杯で、まずは遊漁船業で食べれるようになろうと時間と労力を惜しまず頑張って、自他ともに地域でNo.1の釣り船にはなったけど、だんだんと当初の夢だった、好きな釣りをして、お客さんと旨い酒と魚でバカ話する夢や、宿を作る夢は近づくどころかどんどんと遠のいてしまい、理想とする宿を作るなんて夢物語。
時間と共に、現実味がなくなって行き、いろんなトラブルや震災等を都合よく出来ない理由にし、迷走していたここ数年。
それでもお客様は来て下さる。そのおかげで何とか頑張ってこれた。
でも紆余曲折あり、自分に正直になって考え抜いた末に出した結論が瀬戸内海に帰ろう。好きな海に、好きな酒が有る広島に帰ろうでした。そこでもう一度自分の生きたい生き方をしよう
後は帰るタイミングと、資金。北海道から広島に子供を連れて帰り、そこで新たに事業を始めるとなるとかなりの資金が必要になるし、12年続けて来た会社をどうするか?それよりもお客さんをどうするか?
考え抜き、従業員にも相談し、出した結論は事業を将来的に従業員に承継し、私は元従業員のバックアップをしながら一旦関東で体制を整えてから娘が高校に入るタイミングで瀬戸内海に戻る事でした。
そして可能な限りで整理と準備をし北海道を後にしたのが一昨年の春。決断してから娘の中学校進学のタイミングを見ていたので実行までに約2年の歳月がかかりました。
何故関東?
それは広島に引っ越しして、娘に十分な教育を受けさせたりする資金が無かった事がとにかく一番。広島に帰って、遊漁船をやるにも凄いお金が必要。
そして何より、自分自身の精神状態がまともではなく完全な鬱。
毎日毎日当たり前の様に書いていた文章が書けない。書いてもすぐに消去。アップ出来ない。電話にも出来れば出たくない。予約の電話以外は親しい人でも苦痛に。
身体も動かない。でも動かないと食べていけないし、娘の面倒も見れない。でもそれがばれたら、娘を離婚した元嫁に取られてしまうのではと思い、誰にも相談出来ない。
そんな状態で、無理して瀬戸内海に戻っても絶対にうまく行かない自信があった。
その中で、選んだ仕事が、若い頃アフリカから帰って来た時にお世話になっていた新聞配達員の仕事。
引っ越し代や住む所の心配がない。営業や集金でお客様とは会うけど、そこくらいは我慢。あとは配達だから、日中娘に何かあっても対応出来る。
少しはダイエットも出来るだろう…
基本、新聞屋さんは、やる事だけちゃんとやっておけば基本何でもOK。多少の無理も聞いてもらえる。オイラにとっては願ったり叶ったりの仕事。
それで配達員の求人も多く、待遇の良い関東に
良い所長にも恵まれたが、どうしても我慢出来ない奴が現れ大喧嘩。他の新聞販売店に移ろうと思って所長に相談したら、近所の販売所を紹介してくれ、娘も転校する必要もなくなり一件落着。
オイラ自身の鬱も徐々に改善され、そろそろ広島へ帰ることを具体的に考え、広島での生業の計画し始めた時に、思い出したのが、7年位前に出会っていたアースキューブジャパンの中村さんことあっちゃん。
当時、地元の司法書士さんが地域おこしの活動をしていて、他の講演で北海道に来ていたあっちゃんとコンタクトを取り、急遽オイラの住んでいた場所にあっちゃんが講演に来てくれる事になり、誘われて行ったのがあっちゃんとの出会いでした。
当時から大人気で、連日日本中を講演等で駆け巡ってたあっちゃんでしたが、それまでは全くあっちゃんの事は知らず、講演を聴いた後も、正直この町ではそんな事出来ないな~って感じでした。
誰もやっていない、知り合いもいなかった場所で、新しい事をやり、ある程度成功していたオイラには正直あまり響かなかったのが正直な所。
その後FBで繋げさせてもらい、あっちゃんの活動を見るようになり、あっちゃんの目指している物が、何となくオイラの考えている理想に近いものではと考える様になり、昨年の秋に島根の玉造温泉で行われたゲストハウス開業合宿に参加させてもらいました。
その合宿では、今まで13年間思い描いていただけで、なんも行動出来なかった事が、最後には出来ないはずは無い絶対出来るという自信に。
そこで出会えた同期の仲間たちはもちろんスタッフの方。ほとんどオイラより年下だけど、凄い人たちばかり。素直に聞け、心底オイラの為にいろいろ考えてくれた。
ただ、その後すぐに大問題が発生。事業を承継する予定だった元従業員が顧客名簿や会社の大事なデータを盗んで勝手に独立。
それが昨年の暮れ。もうてんやわんや。娘も同時に生まれつきの病気が悪化し、連日病院通い。
話は少し逸れるけど、新聞販売所を決めるときに一番重要視したのが、娘の病気を治療出来る病院が近くにある事。好きな部活が有る事でした。
その元従業員の事を書き始めると事実を書くだけで悪口になってしまうから、そこは専門家に任せて、とにかく人生設計のやり直しが必要になってしまった。
でもそんな一大事な場面でも、しっかりと根をはった目指すべき道、やりたい事が合宿を通じて出来ていたので、恨みつらみよりも、一番大切なものは?一番大切にしたいものは?一番欲しいものは?一番やりたい事は?って考えて行くと答えは簡単でした。
そんな時思いだしたのが、大好きな開高健の言葉
成熟するためには
遠回りをしなければならない。
無駄を
おそれてはいけないし
無駄を
軽蔑してはいけない。
何が無駄で
何が無駄でないかは
わからないんだ。
漂えぞ、沈まぬ
あの開高健も言ってるんだ。オイラの人生捨てたもんじゃい。
その開業合宿が今月末、今あっちゃんが拠点としている呉市の音戸で行われるらしい。
オイラは今まで一人で100歩進んで、誰もやっていない事を一人で成功させていい気になりたかった。でも結果として従業員に裏切られ、離婚もし、信用も無くした。
創業当時は、どうしたらお客さんが喜んでくれるばかりを考えていた。だんだんどうしたら一番に成れるかを考えはじめ、最後にはどうしたら儲かるかを考え始めた。金、金と考え始めたらすべてが崩れ始めた。
お金は大事だけど、それだけでは幸せになれない事も経験した。今はお金は無いけど、毎日が充実しているし、この先幸せなお金持ちに成れる気がする^^;
一人で100歩では無く、100人で一歩進めたと思うとき、それが見える気もする
今まで、思った事はたいてい実現してきた。でもそれは達成したり認められると急に力が抜けてしまっていた。
誰の為に生きてるん?人に認めて貰う為に生きてるん?人から恰好いいね~、凄いね~って言われたいだけ?
今はそんなのどうでも良い。
でもやっぱり、娘にはおとうちゃん凄いって思わせたいな~^^
さぁ、来月からは大好きな海で、生まれて始めて経験した仕事である漁師になるための一歩が始まる。
でもこの一歩は自分の力で踏み出す一歩ではなく、周りのみんなが背中を押し、支えてくれた一歩なんだな~と感じている。
何があって信用してくれたお客さん、そしてあっちゃんを介して知り合ったみんな。
その輪がどんどん広がっている。100人の一歩。それを実感出来るのもそんな遠い話ではない気がする。
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