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英語が話せない私が海外に行くと決めた時

どーもチルワカです。

今回は私がどーしてオーストラリア留学に行ったのか。
なぜこの事をふと書こうかと思ったのか。

それは、先日会社勤めの20代の子と話す事がありました。

現在、地域と生活柄ゆったりしている事が多い私の環境。久しぶりに都会の子と話した。いわゆる、ちゃんと会社に属して社会人として働いている子だ。

彼女はまだ若い。キラキラしている。だってこれからどんな可能性もあるんだから。

「海外留学とかもしてみたいんです。
でも最近仕事も楽しくて。どっちもいいなって。今まで積み上げてきたものを捨てて踏み切れないんです、、よく海外留学に行けましたね?」


そうかぁ。

そんな話をしていたら、忘れていた20代前半の私。社会人の頃の自分がふわっと舞い降りてきた。

そうそう、私もキラキラしてた。仕事もプライベートも楽しくって、そそくさと留学準備をしている自分の中に

「あぁ、このままあと数年この仕事してたらもっと楽しくなるんだろうに、、」

と思ってちょっぴり胸がキュッとなった記憶とか。


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簡単に、私の経歴は
高校卒業後、東京のグラフィックデザイン学校に入学。
卒業後、アパレル会社の企画デザインとして勤めてました。


もぉ10年以上も前の事ですが、社会人になってすぐの事。
海外に行く!と決めたあの瞬間の事を忘れられないんです。

当時はまだ20歳。

専門の友達4人で飲んでいる時に一人の子が
「私オーストラリアに留学したいんだよねー」って一言から。

ワーホリ制度?
なにそれ?

海外に行く。そんな思考があるのかぁ!すごいなぁ、、、
と驚きと同時に

「待てよ、、
私社会人になって、自分でお金を稼いでる。
って事は、それはこれから自分の好きな事に使えるんだ!
なんでも出来るんだ!留学もしていいんだ!」


中学生の頃から、輸入お菓子のパッケージや雑誌を見ては色使いにワクワクしたり

夏休み前に学校の廊下に貼ってある
「ホームステイ留学」の張り紙を憧れながら見ていたり。

いつか海外でそんな事出来たらなぁ、英語が話せるようになったらなぁ。。

なんて夢の夢くらいで頭の片隅にあった願望。


今なら自分の力で実現できるんだよ!と世界がぶわーーーっと突然キラキラし始めて、頭を思いっきり殴られたら感覚でした。


明日行きたい!すぐ行きたい!そんな気持ちを抑えて

「デザイナーとして3年は勤めるよう。ちゃんと経験値を付よう。
で、その間にお金を貯めて3年後には留学しよう!」

と目標を立てました。
(3年は勤めよう。って所がなんとも私らしい真面目。笑)

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そうと決まれば。さて、まずは周りに宣言しておこう。

夕飯の時、「私3年後に留学するから!」と親に一言。

「え?なんで行きたいの?なんで?英語は?話せるの?」
一度も海外旅行に行った事ない私の両親。

なんで、なんで攻撃が始まりました。笑

「ただ、行きたいから。」
と、なんてぶっきらぼうな私の一言でしょうよ。笑



本当、当時の気持ちを思い返すならば

英語が話せるようになりたい!いろんな場所でいろんな人と話せる様になりたい!

外国人に囲まれた環境で、私のデザイン力はどこまで受け入れてもらえるのか試したい!

自分の事誰も知らない場所で1から始めてみたい!

苦労しながら、自分の力で生き抜いてみたい!

日本から一歩も出ないまま、日本の不満を言う大人になりたくない!

そしてそんな気持ちと同時に

もしかしたらステキな出会いあるかも?
将来、海外に住んでる人になりたいな。

日本は好きじゃないし、だから私海外の方が合ってるんだと思う。
白米味噌汁嫌い、欧米食ジャンクフード大好き!海外に行った自分がどうなるのか試したい!知りたい!

と、怖いもの知らずの若かった私。そんないろんな気持ちが入り混じっていた。

今思えば大きな事をトライする事で自己肯定感を高めたかったのかもしれないなぁ、、。


行き先は英語圏がいい。海が綺麗なところ。サーフィンもしてみたいし、できれば暖かいところがいいなぁ。

じゃあ、オーストラリアにしよう!


それからいろんな友達にも留学に行きたい事を片っ端から話していたと思う。

「え、英語できるのー?」と心配する周りをよそに

「なんとかなるでしょ!行ったら嫌でも覚えるよ。」と高校卒業以来、英語の勉強なんてした事ない呑気な私。それから留学までろくに勉強しなかった私。


そんな訳で、決断に尻込みすると言うよりも

初めて、自分が自分の為に人生のやりたいビッグな事を実現させてあげられる!そんな未来を考えてワクワクキラキラしかしていなかった。

私の場合、きっと会社で経験を積んで「さて、これからどうしよう、、」と迷う前に、最初に行くと決めていた事が良かったんだろう。


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それから、3年半は必死に働きました。
20歳の何も知らなかったペーペーギャルの入社は大変だった。笑

取引先のおじさん達にもしょっちゅうなめられていた。先輩が頼んだら出来るのに、私には「できない」と断られたり。自分の依頼だけ後回しにされたり。(そりゃ10個以上下の最近学生だった子に、これやれあれやれ言われても。よな笑)


「そんなデザイン売れんの?」と鼻で笑われたり。悔しくて悔しくてトイレで泣いた事もあった。最初は仲の良かった同期の子から異常に強く当たられたり。時に身体を壊したり、精神的ストレスで身体が赤信号。な事もあった。

「今辞められない!留学する為にお金を貯めるんだもん!」

いつかオーストラリアにいる自分を思い浮かべながら。その気持ちだけが私を奮い立たせてくれたんだろうなぁ。と当時を振り返れば思う。


3年で信頼も実績も少しずつ積み上げて、後輩も増えてきた。

「君に全部任せるよ」そんな言葉をかけられる事が増えてきた。自分のやりたいデザインが思いっきりできる。ファンが付いてくれている。

勢いに乗りかけていた時だった。

あぁ、、あと数年。頑張ったら私がやりたい事がもっと出来る様になる。

あと2、3コマ先に見える未来。

勿体ない。

そう思った事は何度もある。でも、これからの数年をここで過ごす自分と

憧れの場所に行った自分を想像するに、明らかに後者がワクワクした。


だから、そんな勿体無いの気持ちを振り切る様に。がむしゃらに留学準備に励んでいた。

ホームステイ先、海外送金先、学校、仕事を辞める日。どんどん進んでいった。

あの時の私は、ただただ純粋にワクワクする事に集中していた。


そんな訳で入社してから4年目の夏。私は仕事を辞め、流れる様に留学した訳です。

希望に胸を躍らせていた甘い自分には、波乱万丈な日々が待ってましたが。笑

それはまた今度。


私が自分自身で人生を大きく変えた出来事です。久しぶりに遠い記憶を思い返してみました。

そんな当時の自分に今、教えてもらえる事が沢山ある気がします。



長々と、ご静聴ありがとうございました!













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