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結婚なんかしてほしくない(AroAceのカミングアウト、それと母と家父長制にフェミニズム)

「私、あんたに結婚なんかしてほしくない」
3年ほど前まで、「孫の顔が見たいわあ」なんて無自覚にアロマンティックアセクシャルの娘にプレッシャーをかけていた母がぽつりとそう言った。
2022年、今年の話である。

私の両親のルーツは九州にある。
無論、親戚縁者もみんな九州人だ。私自身は本州育ちで九州に住んだことこそないものの、実家で飛び交う言語は九州弁交じりだし、食を含め、おそらく文化も西寄りだ。実家のある場所はそこそこの田舎ではあるものの、『外から来た人間』が多かったためか良くも悪くも(超絶学歴ヒエラルキー社会であることを除けば)ドライな気風な上、移住者が多くを占めるため同世代のこどもは訛りもほぼなく、そもそも私自身さほどコミュニティにとっぷりと浸かるよりそういったものからは少し距離を置いて自分のテリトリーに引きこもることが性に合っていた。地元は?と聞かれるとちょっと微妙な顔をしてしまう程度にはどっちつかずである。

ところで、九州のネガティブイメージを列挙すると、やはり『男尊女卑』『家父長制』あとは『マチズモ』あたりが挙げられるのではないだろうか。強権的な父親、それに隷属する母親、真綿にくるまれ蝶よ花よと大事にされた結果モンスター化する長男、その他奴隷の娘たち。様々なパターンがあるだろうが、ぱっと浮かぶイメージはそんなところだろうと思うし、実際そんな地獄絵図のような実家を持つ人がいることも、うっかりそこに嫁入りして地獄を目の当たりにした人も身近にいるため、そのあたりの解像度はそれなりに高いと思う。
ただ、私の実家に限定するのであれば、前述のような地獄と比べればはちゃめちゃにマシな、ごく普通の核家族だ。実父も実母も、祖父母を見ても表面上はそんなまがまがしい雰囲気などない。当たり前に超普通の善良なるお父さんお母さんだし、孫に激アマな優しいおじいちゃんおばあちゃんであったと思う。『うちは恵まれてるなあ…』なんてことをのんきに思っていた。

そんな中、『作りたい女と食べたい女』という漫画を読んだ。


食事にまつわるあれこれを中心としたシスターフッドものの漫画で(最近ドラマ化もされたので知っている人も多いだろう)、漫画の本筋とは多少逸れるが、その時はちょうど九州出身とおぼしき登場人物の過去話が掲載されていた。登場人物の彼女は昔から体が大きく、よく食べた。しかし、実家では『女だから』と食事の量を少なく出されていて、男には一尾出されていた魚はいつも半身しか出してもらえなかった、という描写があった。
数ページの話で、登場人物のトラウマの話ではあるもののストーリーの核となるほど重要な描写ではなかったと思う。ただ私に限っては、この数ページを読んで衝撃を受けた。
だって、私の実家も、女である私に魚一尾まるごと出されたことがなかったからだ。
実家で家族と一緒に食卓を囲む際、いつも父に取り分けるおかずの量一番多く、かつ種類も1,2品ほど多く出されていた。父は子供に甘い人であったからねだれば分けてくれたが、私の皿が増えることは私がねだり倒すか特別な日以外はあまりなかったように思う。子供ながらに「お父さんは大人だからいっぱい食べるんだな」なんて思っていたが、その後成長しても『まるまるの一尾の立派な魚』が出た記憶はない。父と体のサイズも食べる量もさして差はなくなっても、いつだって皿の上に半身が乗るか、一尾を母と分け合っていた。なんなら先月実家に帰ったときもそうだった。ちなみに、世間一般的に見ても私は割と食べる方である。
一応弁解をするのであれば、父は「一尾は多いからよかったら食べて」と勧めてくる。まあこの行為も意地悪な言い方をするのであれば”施し”と言えなくもない。

だから、衝撃だった。ゴリゴリに家父長制じゃねえの、実家。

よくよく考えてみれば、我が家は透明な家父長制のもと成立した家だ。
穏やかではあるものの花よ蝶よで育てられた末っ子長男の父(仕事はできるが自分のことは本当に何一つしようとしないし、子供の世話をしなかったことを未だに母に恨まれている)、世話焼きでお節介で超絶働き者の母(父性と母性兼任できてしまったせいで多大なる犠牲を払う事となった)、長女がゆえ「(どうせ嫁に行くんだから)好きにしなっせ」とわりと奔放に育った私(とはいえ家事戦力要員として数えられているのでケア労働要請は私にのみ来る)、父の「息子だから父の後を追ってほしい」と無自覚なプレッシャーに晒された末マチズモと学歴コンプとを拗らせいまだ絶賛モラトリアム中の弟。平和な核家族の薄皮剥げば惨憺たるありさまである。

そんな家中で、母は私に「結婚なんかしてほしくない」と言った。実家から自宅に帰るべく車で駅へ送ってもらう道中のことだった。
母の心中を思うととても苦しい。鎖につながれた奴隷が、自身の子に「ここに居てはいけない」と諭し鎖を外して逃がすようなものだ。

我が家における家父長制最大の被害者は母だ。 
「女んくせに」と言われ続けて育った母は、勉強も運動もできたのにも関わらず「女に学はいらない」と押さえつけられ短大に進み、勧められるがまま地元の企業に就職し3年で結婚し寿退職をして、父の就職先についていく名目で九州を出た。母の実母は伝え聞くに相当に毒であったので、「一刻も早く家を出て、暖かい家庭を築きたかった」と振り返る。
恵まれぬ幼少期を過ごした母はとにかく『理想の家庭』を実現することに固執していた。娘にはピアノやバレエを習わせて、誕生日にはお友達を招いてお誕生日会をし、毎日可愛いお洋服を着せ、かわいい髪型に結いたがった。全部、少女時代の母がされたかった事だった。しかし、実際に生まれた娘(私)は本ばかり読んでいる気難しい子供で、人付き合いも消極的でお誕生日会どころではなかったし、ピンクもヒラヒラした服も、長い髪も邪魔で嫌いだった。私は大昔からこまっしゃくれていて我も強かったので、割と早い段階で母親に盾突いていた。母の「やってあげたい」「やってあげているのに」がとにかくストレスだった。お察しの通り、母とは思春期突入以降、大学に入り家を出てしばらくするまでとんでもなく仲が悪かった。

母は「あなたのためを思ってやってる」というのが口癖だった。実際に振り返ってみれば母は子供のためを思ってすべてを投げ打っていたと思う。ただ、子供からするとそれはそれは息苦しくて仕方がなかったし、母の思う通りの人間になれない自分をひそかに責めてもいた。
今でこそ年を食ってお互いに落ち着いたことでぱっと見『友達親子』のようになったが、それも河川敷で殴り合って「お前、やるな…」「お前もな…」と鼻の下を擦りながら相互理解に至ったヤンキーのような感じかもしれない。

そんな感じでそれなりにいろいろあったが、なんだかんだ言いながらも私はゴリゴリのマザコンである。母のことはいまだに理解できない部分は多いし、ぜんっっっっっっっぜん合わねえ~~~~!!! なんて思うところもあるが、逆に分からないから「おもしれ~女!」と思う。こともある。いまだにぶつかるけど。
(ちなみに、あまりにも母のキャラが強すぎて世間一般でいうところの「やさしいおかあさん」と重ならず首をかしげていた少女期、ヒンドゥー教神話が誇る鬼子母神カーリーの存在を知って初めて『母性』と『母』がぴったり合致した。閑話休題。)

ところで、私はアラサーに差し掛かった頃自分の人生を回顧した結果、アロマンティック・アセクシャルであると自認した。
その当時母は口を開けば二言目には「いい人はいないの?」「孫の顔が見たいわあ」なんてことを言っていて、それがとてもストレスだった私は母の言動を観察することにした。聞き流せばいい話ではあるだろうが、何せ私はマザコンなので冷戦期に逆戻りすることは避けたかった。なるべく喧嘩の火種を少なくしたかったのだ。
するとだんだん、母は「私が死んだあと、この子は経済的に大丈夫なのかしら」という心配の発露として「結婚は」「孫は」と言っていることが分かってきた。
なるほど、と私は思った。私は相当にちゃらんぽらんで、(なんせ25歳くらいまで定職についていなかった)親には多大なる心配をかけていたので母の言動はある種順当なもので、これは私自身が招いていることでもあったし、何よりも私自身、「結婚しなければ」と思っていた時期になぜ結婚がマストだと考えていたかといえば『親を安心させたい』以外の理由を挙げると『経済的な不安』が上位に入っていたからだ。

結婚に関してつらつら書いた繰り言はこちら

攻略対象(母)の傾向が分かったので、次に対策に移った。経済的理由で結婚を勧めるのであれば、こちらも結婚しなくても経済的に安定していればいい話だ。
そういうわけで、仕事の話をすることにした。当時29歳だか30歳の私は第二新卒くらいの年ごろに転職し一応正社員になって数年経過していたため(ちなみに正社員になった際、母に「正社員になる気あったの!?」と驚かれた。ここまで期待値が低いのも逆にすごいと思う)、仕事の愚痴もこぼしつつキャリアプランの話や給料の話、貯金に老後の話なんかも織り交ぜた。割と素直な性質の母は、元々の社会性が壊滅的だった私が多少なりとも社会性を身に着けただけで大喜びした。正直甘すぎると思うが、とりあえず母が納得してくれればいいからここでは深く追求しないこととする。

金銭的な不安がある程度解消されたので、次はアセクシャルアロマンティックのカミングアウトを試みた。世情にさほど明るくない母の場合、小難しい横文字を使うとそれだけで拒否感が出そうだったので専門用語をなるべく避け、焦らず小出しに、自然に会話に織り交ぜた。短期決戦はいらぬ軋轢を生むだろうから、長期戦覚悟でじわじわと対話することにした。アロマンティックを啓蒙したいというより、私自身が恋愛も性愛も必要としていないということを理解してほしかったからだ。
「いやあ、ぶっちゃけ何回か異性と付き合ったけど、正直ピンとこないどころかかなり窮屈でキツかった。お母さんを見ていても正直私には到底できないことばかりだから、一人ぶんの食い扶持稼いで楽しく生きて適当に始末つけるよ」なんて風に、その都度いろんな表現を駆使して。
マザコンの私はできることなら母を敵には回したくなかったので、結局1年半ほどをかけたと思う。その甲斐あってか、最初は「そんな今から決めつけなくても」なんて言っていた母も、そのうちに娘が本当に誰とも恋愛をしたいとも思えなくて、本当に子供が欲しくなくて、本当に誰にも呪いをかけず気楽に生きて死にたいと願っていることを、ある程度理解し許容してくれた。これは本当に幸運なことだと思う。

そんなことを折に触れ話すことで、母にも変化があったようで、それが冒頭の「誰とも結婚なんかしてほしくない」という発言だった。私が私自身の人生観を語るうち、母も自身の人生を振り返りそして気づいてしまったのだそうだ。

「婚姻関係って、すごく女が不利だ。子供ができたら余計に逃げ場がない。だから、下手な男と結婚なんかしていらん苦労をするくらいならあんたには一人で楽しく気楽に生きてほしい」

耳を疑ってしまった。つい3年前まで孫が欲しい、孫産んだらすぐ離婚して実家に戻ってくればいいなんて言っていた人がここまで変わるだろうか。それと同時に、気づかなくていいことまで啓蒙してしまったんではないかなんて少し後悔した。母の人生の大半は誰かの犠牲になっていることは、娘の私が多分一番分かっているからだ。60歳をじき越える母に、そんなことを今更自覚させるなんて残酷が過ぎると思った。
しかし同時に母は後悔してないとも語った。

「私が子供を授かったことに後悔はないけど、でもあんたに同じことをしてほしいなんて思わない。だってすごくしんどいし、自分の人生が生きられなくなるから」「いままであったなんとも言えないしこりが解消された。なんで今まで気づかなかったんだろう」

そんなことを言って笑っていた。60歳近くで自然とフェミニズム的思想にたどり着く母の素直さを率直にすごいと思う。
わたしの母は、だれかを慈しみたくて仕方のないひとなのだと思う。現に、母は子供が自分の手を離れたと感じたらしいタイミングで子犬を迎えた。その子犬が成犬になってしばらくして、もう1匹迎えた。今は2匹の犬たちの世話を焼きながら、日々忙しそうに楽しそうに過ごしている。3年前、孫攻撃に辟易した私は「そんなに孫が欲しいなら犬でもお迎えしなさいよ」なんて言っていたが、図らずもその通りになっていて面白い。

ちなみに、ろくに話に登場していない父とは断絶しているかといえばそういうわけでもない。母のようにじっくり傾向と対策を講じわざわざ説得してはいないが、父も父でなんとなく30歳過ぎても好き勝手している娘を「あっ、こいつ結婚する気ないな」と察しているっぽいので有難く放って置いておいている。父は(無自覚ではあるものの)家父長制の蜜を吸う側の人間ではあるが、私に結婚しろとかやいのやいの全然言わないので(これは実質的な孫枠であるお犬様たちの存在が大きいからかもしれない)正直めちゃくちゃありがたみに溢れる。とはいえ、折に触れ父にもちょこちょこ結婚しないことも子供もいらんことも匂わせてるし、仕事や将来の話は『相談』の体で話してはいるが、いざぐちゃぐちゃ言って来たら言ってきたで母を味方につけて全力で戦う所存だ。なんせそのために、母相手に時間をかけてカミングアウトという名の根回しをしていたのだから。

だから私は元気に家父長制に中指を立てながら、今日も元気に生きて死のうという意識を新たにするのである。

当初は今回の母の話含め尊敬する祖母の話も絡めてあれこれ書いていたらとんでもねえ長尺になっためばっさり切って今回は前編として投稿します。後編はまた近いうちに。
(※宣言しないと永久に書きあがらないので、公言していくスタイルを採用いたします)

それでは。

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