タイムスリップして原体験をさぐれ!
勝てるデザイン ワーク10
デザインに関心を持ったきっかけを探るワークです。
「幼少期からのクリエイティブとの接点」をテーマに周りの人たちにもインタビューして、子どもの頃好きだったことなどを聞いてみました。
幼稚園くらい
『小学一年生』みたいな雑誌を自分で作って友達にあげた記憶が。
あげた友達のお母さんが、うちの母にお礼?というか、報告をしていて、
それが恥ずかしかった記憶が。
恋愛マンガみたいなのも描いていたので、恥ずかしかったんだと思う。
読者プレゼントみたいなのもちゃんと用意していた。
今思うと、けっこうスゴイ事してる…。
大きいカレンダーの裏や、新聞の広告の裏の大きい白い紙に絵を描くのが好きだった。
一人で描いたり、親や妹と描いたり。
広告の文字をなぞるのも好きだった。
小学生
すでにマイキャラクターいました。
ちょっと忘れてたけど、友達も妹もみんな覚えててスゴイ。
とにかくいつでも描いていた。
元々は横浜博覧会(1989)で買ったラッコが宇宙服を着たぬいぐるみ。
名前は「万星良(まんせいら)」です。
自分で書いてて恥ずかしいわ!
名前の由来はビックリマンに出てきた幻の都だそうです。
正しくは「曼聖羅」。
ちなみに妹も同じぬいぐるみの女の子(ただ襟がピンクなだけ)を持っていて、名前は「万礼(まんれい)」でした。
名前の由来は不明。
もちろん、かの有名な芸術家からきているのではない。
他にもぬいぐるみはたくさん持っていて、
「ぬいぐるみのなまえ」というメモというか、記録というか、本を作っていた。
名前、生年月日、彼氏彼女の名前…など。
まんせいらの彼女はもちろん、まんれいです。
でかいクマのぬいぐるみ(くまたろう)の彼女はバービーのめぐみでした。
我ながらなかなか覚えてるのが怖い。
その他はビーズで人魚を作ったり、プラ板、ミサンガ、名刺など、いろいろ作った。小学生の時って色々作るよね〜
友達と遊んでる時には、料理作ったり、べっこう飴作ったりもしていた。
一輪車ショーごっこをするのも好きだった。
一輪車は黄色で、自転車はピンクと紫の間みたいな色だった。
紫が好きだったのは、完全に忘れていた。
友達が覚えていた。
夏休みの課題の絵日記でレストランにいきましたーみたいな絵を描いた時に
下手すぎて母親に怒られ、
泣きながら描き直したことをいまだに覚えている。
確かに変な絵だけど、そんなに怒らなくても!むしろ笑うとこだろ!とさえ思うけど、母親も余裕がなかったんだろうな〜と今になると理解できる。
中学生
中学生になると、万星良ではなくて
「松」というキャラクターが生まれた。
これはつい最近まで描いていて、ラインのスタンプにもしようとしていた。
基本的に顔は変わらず、
服が色々変わったり、体の形を変えながら
いろいろなモノになるという手法。
ものすごく絵が上手い友達がいて、交換日記をしていた。
この「松」を使ってダウンタウンのごっつええ感じのコントのパロディの
4コマを描いていた。
だからといって松の名前の由来が
松ちゃんから来てる訳ではない。
多分、松っぽいという完全なフィーリングだった気がする。
中2の時、体育祭のポスターが選ばれて
町中に貼られた。
それが広告を作る人とかデザイナーになりたいとか、
そういう方向性を考えたきっかけだったと思う。
まとめ
私が就活する時代は
テレビ、雑誌、新聞、ラジオのマスコミ4媒体が強い時代で
広告業界にもすごく憧れていた。
その辺りに就職できたらな〜と簡単に思っていたが、
就活を表面的にしか考えていなくて失敗。
ただ、今は運良く好きな業界でデザインもできる環境にいる。
今回、幼稚園〜中学生のころを振り返って、
キャラクターが好きなことを思い出した。
サンリオが行きつけだった。
それにマイキャラクターもずっといたんだった。
自分のサインを書くような感じで、常にマークのように描いていた。
誰かにほめられたからとか、描いてと頼まれたわけでもなく
自分が描きたくて、ずっと描いていた。
今のひよこ🐥はお笑い芸人さんのファンをしていた時に
覚えてもらうために手紙にひよこのマークを描いていた。
人からひよこに似てるって言われたし、描きやすいし。
少しでも絵があると、人は目がいっちゃうし
ちょっと笑ってくれる。
それが好きなのかもしれない。