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「ア」カチャンホンポ

 中学生の頃か忘れたけど、札幌エスタ七階にあったアカチャンホンポが移転か閉店かした。僕はその報せを聞いたとき気にも留めなかった。「ああ、そう」という無味乾燥な反応だった。いや余りにもどうでもよすぎて失笑したのかもしれない。まあそれもどうでも良い話だが。
 僕がこのアカチャンホンポに初めて立ち寄ったのは、小学生になりたての頃だったか。その時は「ムシキング」が一世風靡していて、幼稚園から小学校高学年の子までこぞってやっていたものだ。僕も勿論そのブームに乗っかってて、四六時中「ムシキング」のカード(ムシカード、ワザカード)の一覧表が載っている本を読んだり、ゲームボーイアドバンスで出てた「甲虫王者ムシキング グレイテストチャンピオンへの道」を攻略したりしていた。元々何かを覚えたり、極めたりして得た知識を誰かにひけらかすのは好きという面倒な人間だったから、そういうのは夢中になれた。
 しかしやはり「ムシキング」の真髄はカードを集めることだ。特にシングルプレイでも対戦でも有用な強力カード、例えばつよさ200のアクティオンゾウカブトや同じつよさのギラファノコギリクワガタ、そしてそれらの必殺技やスーパーというのが接頭辞に着いた究極必殺技のワザカードを手に入れると、友達から羨望のまなざしを持たれた。次点で先のGBAゲームソフトを購入した際に付属で手に入るネブ博士のカードやグレイテストチャンピオンカード(これが一番入手しづらいカードだが、珍しすぎて余り注目されなかったし、第一に所有者の名前が刻印されているから他の人から得てもあんまりしっくりこなかった)、Edyカード(ヤフオクで色んなカードを手に入れたものだが、これだけは中々市場に出ず、入手できなかった。悔しい)などの特殊カードや、「パラレルワールドコレクション」という普通のカードと鏡になっていて、且つ「アダーコレクション」ではないという摩訶不思議なやつ。これらは魅力的で友達とのトレードで出てくると直ぐに食いつき、死に物狂いで交渉して得たものだ。
 交換は楽しい思い出だけど、やはりそれ以上に自分でカードを獲得する方が楽しかった。親の百円を「ムシキング」の筐体に入れると、ゲームをする最初にカードが裏面を見せながら出てくる。大抵は外れだが、時に自分が手に入れていなく且つ強いカードが出てくることがある以上、そのカードを抜いて確かめる度に胸が弾んだ。
 家族でどこか行くとき、必ずそこに「ムシキング」があるのかどうか調べた。あの時は全盛期だったから、ゲームセンターは勿論、ゲオや文教堂とかにもあった。どこにでもあった。だから猶更懸命に探したものだ。時々前のバージョンの筐体が置かれている場合があるので、どこだどこだと探し、見つけては親に何百円かねだり、プレイしていた。
 しかし似たようなことをしていくにつれ、次第に札幌エスタ九階にあるゲームセンターが一番理想的な所ではないかと子供心にも思うようになっていった。というのもそこには比較的多く台があり、もし、全然良いカードゲットできないな、と感じるようになると、違う台に切り替えてプレイすることが出来たし、またそれ以前に父がくれる金額が時に千円だったりして、他の所よりも多くプレイできると確信してしまったからだった。
 基本的にそこへ行くとき、家族はステラプレイス六階から延びる連絡通路からや、エスタの一階から五階を占めるビックカメラを見物しながら、順に上の階へと昇って行った。特に後者の場合、何階か忘れたけど、おもちゃ売り場があってそこにも「ムシキング」があったので、そこで運を試すことがあった。その分九階でやれる回数は減ってしまうけど。
 それにしても他の階にも「ムシキング」があるという事実は、僕にこのようなことを思わせた——このエスタにはまだまだ「ムシキング」があるはずだ。この幼稚園児の頼りない当て推量が、探求心をくすぐらせたのだった。
 そんなある日、七階に来た僕は、このフロアがアカチャンホンポという店名であると知った。赤ちゃん……ホンポ。「ホンポ」が何を意味しているのかは分からなかったけど、赤ちゃんのためのお店に違いないと考えられた。何時ぞやに母親に連れられて来たカナリヤみたいな感じかなとなんとなく考えながら、勝手に親から離れて辺りを物色した。勿論だが「ムシキング」探しだ。赤ちゃんは歳的に近いからあるに違いないと本能的直感が働いたのだ。
 でも暫くして見つからなかった。どこを見てもおむつだったり、幼児服だったり、あのお堅く、緑色の筐体を見つけることが出来なかった。僕は両親の所に戻って、
「つまんない」と述べた。
 月日は流れ、先に書いたように、エスタのアカチャンホンポが消えたことを聞いて、僕は適当に流した。元々詰まらない店だったから、聞いたところでどうでも良いし、困る人が居ても別に自分じゃないから何にも考えなかった。
 でも今思えば奇妙にも思える。僕がアカチャンホンポを「つまんない」と言ったのは、そこに「ムシキング」が無かったからであって、それ以外に理由は無い。だけど僕があの「報せ」を聞いて別にいいやと思ったとき、最早「ムシキング」はオワコンと化して、正に「つまんない」ものになっていた。そしたらアカチャンホンポはあの時詰まんなかったのか、なんだか奇妙な感じがするけど、最早「つまんない」理由が大したことでなくなったとはいえ、それでもまだ詰まらないのだろうか?
 まあどっちもつまんないからいいか。


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