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妊娠、リストラ。 そしてフリーランス

2008年9月15日。リーマン・ブラザーズ・ホールディングス経営破綻。
その朝。社長の顔を直面することができなかった。

「自分は残ることができるか」
「この会社にいることができなかったらどうするか」
その日からそんなことを考える日々が始まった。

緊急朝礼。

そして、ルーレットは回り始めた。


私は会社に入社して1年目弱。当時はグラフィックデザインが中心。これまで制作していたデザインとは全く違うところに大変さを感じていたものの、ディレクターの意図を汲み、小さな改善案を提案できるようにはなっていた(自己判断)。

そうはいっても、会社のデザイナーは私より10才近く若く独身で体力のある人ばかり。よっぽど抜きん出た能力がない限り、結婚3年目の私はタダでさえ不利な立場。

人生の節目は試される

ある晩、会社の同僚と呑みに行った。夜も遅かったのでチューハイ2杯で電車に乗った。しかし私は予想外に帰りの電車の中で倒れてしまった。全く記憶がない。自衛隊の先輩にお酒を鍛えられた記憶はあるけど、倒れるまで呑んだことはない。

できてるかも…申し訳ない。

その会社は、以前仕事で関わっていたA先輩の紹介で入社ができた。入社時は会社も「子育て世代の雇用も考えて行かなければねー」なんて笑いながら話をしていた。今となって、そんな話は藁にもならない。

A先輩、会社に対して申し訳ない気持ち。
保証はない。でも諦めなければどこかで再開できるだろう。
毎日、その考えの狭間をさまよった。

妊娠3ヶ月

妊婦健診にて、妊娠確定。
安定期の安堵も一瞬で不安に変わる。
会社に報告しなければならない。

「覚悟」しかない。

その日は来た

誰も触れない現実。日に日に社内の人は減っている。
妊娠の報告から1週間もしないうちに、紛れもなく「その日」は私にも来た。

「あと1ヶ月で…」
人事から呼び出され、告げられた。

それ以上は何を話したか記憶にない。

当時のデザイン会社としては大きい方だったかもしれない。70人以上の方が働いていた。そんな活気のあった会社が、日々得体のしれない静寂感に包まれていく。会社のホームページに記載された従業員数も、ある時期から更新すらされなくなっていった。

私の気持ちは、悔しさを超えやり場のない怒りに変わっていった。

この先、一体どうすれば…

労働局の相談窓口では「十分に法的手段を取ることもできますよ」とアドバイスをいただいた。そうすれば何がしかお金はできる。しばらく働けなくなることも考えると、それも一つの手段かと思う。けれど、それでは何かが引っ掛かる。

もう少し誰かの意見を聞こう。私は母に相談した。

お金はどうにかなる。人間は支え合って生きている。どんなに自分に対してひどいことをされたとしても、みんなそうやって成長していくもの。紹介してくださった方もいるし、法的手段を考えず状況を受け止めなさい。いつか助けてくれるかもしれないから。」

そう言われ、私は自分の気持ちと向き合うことに決めた。

そして迎えた退職。

出産

第一子の産後、早くも祝いに来てくださったのが、会社のA先輩だった。祝いと言いつつ、主人に謝罪に来てくださったのだ。

「妊婦さんにリストラをしてしまうような会社を、奥さんに紹介してしまって、申し訳なかった。」

思ってもいない言葉だった。と同時に、ここまで人の人生を請け負う方なんだと、改めて尊敬の念を抱いた。

そしてフリーランス

第三子の出産後、私は間も無くフリーランスになろうと考えていた。ちょうどその頃、A先輩から連絡をいただいた。仕事を紹介してくださったのだ。右も左もわからない、そんな時に力添えいただいたことが、どれだけ心強かったことか。私がWebの仕事をしたいと知ってはいたものの、軌道に乗るまでライティングの仕事を通して本当にお世話になった。

また、当時勤めていた会社の社長に挨拶に行った。会社は小さな雑居ビルに引っ越されていた。社長は6年前が思い出せないほど痩せ細っていた。会社に私の知っている方は残っていなかった。私はポートフォリオを持っていったもの、出すことをためらってしまった。

社長は「あの時は本当に申し訳なかった。それ以外に方法がなかった。今、もっと状況が悪くなり、すぐに根立さんを助けることができない。でも何かあったらよろしくお願いします。」そう仰ってくださった。

私は「仕事をくださいと」営業するつもりもなかった。それでもこうやってA先輩に助けられ、社長とも再び話ができたのは、あの時法的手段に出なかったからかもしれない。そう思わずにはいられなかった。改めて社長と向き合って話をすることで、私の中で1つの区切りができた。

受け止めるところ。主張するところ。頑張るところ。

人と関われば、それだけいろんなことが起きます。全てをすぐポジティブに切り替えるほど強くはないですが「受け止めるところ。主張するところ。頑張るところ。」そうやって一つ一つバランスを取りながら超えていくのかなと思います。

A先輩には、仕事で恩返しをしたい気持ちはあるものの、現在は激戦区とされる分野のライターとしてご活躍されており、手の届かない領域に行かれてしまいました。

せめてもですが、今後子育てしながらフリーランスを目指されたいという方に出会えたら、デザインを通して少しでも協力していきたいと思っています。当時、A先輩に力添えいただいたように。

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