見出し画像

定期が終わる喪失感

こんばんは、

今日もいつもの寝る前のルーティン
「あれ今日なにしたっけ?」と
一日を振り返るお時間が来ました。

毎日寝る前に
「なにした1日だったっけ?」と
思いながら
結局「なにかしら世のため人のために動いたなあ」と
自分を褒めてそのまま寝落ちしています。

今夜のnoteは
ちょっぴり寂しいような
「別れ」の話題をご用意しました。

私は、ベビーシッターの仕事で
長年お世話になっていて
定期予約を頂いているご家庭があります。

出会った当時、
事前面談でお子様と顔合わせした際

お子様の年齢は2歳

現在はなんと6歳の誕生日を迎え

「もうすぐ7歳だね」と笑顔でいうお子様。




今日もいつも通り
定期のご予約として、
ベビーシッターの仕事で訪問すると
ニコニコ笑顔でお出迎えしてれるお子様の姿が。

そのお子様が成長を重ね、
小学校へ進学するということで
【今年度をもって定期を終了したいと思います】
というお言葉を定期ご家庭から伝えられました。


進学を機に
別れが来ることを
なんとなく察していましたが、

やはり「いずれ来る別れ」が確信へと変わる時、
私もその事実を認めて、次へと進んでいかなければいけないと
腹を括る時期は「今」なのだなと感じました。


ベビーシッターになって
とても良い家庭と出会えて、
「自分の理想であるベビーシッター像」を叶え続けてくれた場所でもあります。


だからこそ、
わかっていた「別れ」にも
悲しさや寂しさ、現実的な金銭面の変動など
まとめて【喪失感】というのでしょうか、
自分でもうまく感情の表現がしづらいです。


まだ2月、されど
3月末までは、

ベビーシッター先の
お子様から見たら
「いつもの定期的に家に来るシッターさん」なのであるから

いつも通りに接することが
最適解なのでしょうか。


今後、定期がないからといって
一切呼ばれない訳ではない。
単発で呼ばれたいし応えたくなる。


別れを惜しんで
「またいつか」に期待して
「●●日空いてますか?」と必要とされるのを待つのだと思います。


一旦の「終わり」や「区切り」を受け止めて
私もこれからの「出会い」に期待を込めて
前に進もうと思います。


長く、私を求めてくれてありがとうございます。

また思い出してください。


私も、楽しい仕事がたくさんできて幸せでした。

感謝。




いいなと思ったら応援しよう!