みんな幸せになりたいよね
「みんな辛いんだから、辛いことを我慢しよう、辛くても乗り越えよう」
っていうのは、心が沈んでしまったときに励みになる
美しい考え方だと思う
でも本当は、「みんな辛い」ってそんなのおかしい
なんで?ってなんなきゃじゃない?って思いました
「みんな辛いから耐えよう」とかじゃなくない?
「みんな辛いとかやめん??」って私だけが思ってるのかな
変えたくない?
具体的な方策があるわけではないけど
いつからなんだろう
苦労とか苦しみの末に掴んだものこそ素晴らしいって考え方になったのは
私だってそれは美しいと思うけど、簡単に「あー幸せ!」ってみんなが思えた方が嬉しいんじゃないのかな
やっぱ苦労とのギャップがあったほうがよりうれしく感じるとかそういう話なのかな
少なくとも私はそのギャップ要らん派だけど…
兄とはいつも色々話す
これまでとこれから、みたいなことに最終的にいつもなりがち
私たちは母子家庭だし、貧しいので国立大学しか行けないぞ〜!というプレッシャーの中で日々勉強して、なんかわかんないけど今2人とも就活でひーひー言ってるわけですが、
大学に入学して色々周りの話を聞くと、保護者のお金でぽーんって大学入って、奨学金もなく、留年するかもーとか気楽にいってて内定もコネ。
みたいなことありうるんだろうねーーーーー!!
と2人で絶望した
「いや、でも彼らはまたその先で苦労するかもしれんし…」
となんとか心の安寧を保とうとしたが、しかし、
「いや、でも私たちも全然これから先も苦労する可能性あるかね」
っていう余計な私の一言ね
そうなんだよね、もうシンプルに最初から楽して色々ゲット!!した人が羨ましいんだよね
その人なりに辛いことはあるかもしれんけど、スタートラインが違うよな〜って思います
苦労して得られることも確かにたくさんあると思うし、そこから得た幸せだからこそ感じられる気持ちもあるとは思う
でも、みんな簡単に人生に必要なものを手に入れることができて、「最低限の生活」の先にあるかもしれない「最低限の幸せ」からみんなスタートがきれたら一番だなって思う
今日とてまとまりも、繋がりもないような殴り書きだけど、まぁいいでしょう、夜なので
おやすみなさーい