天声人語まとめ①
先日の投稿で、「天声人語の書き写し」を始めたと伝えたが、ついにノート一冊分やりきった。
すごいね~~!!
今後も続けるかどうか検討するためにもここに感想をまとめていきたいと思う。
まず、今日はやってよかった!と思うところを4つ。
①世の中の事、ちょっとわかる
②新しい言葉に出会える
③「意外と書けない漢字」が分かる
④読解力がつく
①についてはそりゃそう。という感じ。
天声人語とは朝日新聞のコラム記事だ。
近頃のニュースに即した内容を決まった文字数でまとめてある。
ジャンルは特に決まっていないので、書き写すこちらも様々な出来事に触れることができる。
一冊書きあげるうちにも、実にたくさんのテーマがあった。
コロナ、トランプ、都知事選、豪雨災害はもちろんのこと、花や生き物、歌人等の話題について書かれていることもあり、おもしろかった。
自分が普段興味を持たない内容も意外といいな、と思えたのは収穫だったと思う。
あえて「ちょっと」とつけたのはその限られた文字数ゆえだ。
毎日603字という限られた情報では、さすがにその道のことを網羅できるわけがない。
「なんそれ?」と思うことはたびたびあった。
しかし、決してこれは悪いことではない。
むしろわからないことを契機に、それに関連する記事を読んでみたり、検索してみたりと、知識を深めることにつながるからだ。
おかげさまで「へぇ~~」となるような新たな知識を少しは獲得できた。
②については新聞記者様様である。
天声人語は文章の代表!みたいな言われ方をすることも多いらしい。
そんなコラムを書くような人たちだ。さすがに語彙が桁違いである。
使用していたノートにはわからない言葉を調べる欄があり、知らない言葉や知っているけど説明しろと言われたら微妙だなという言葉を調べて書き込んでいた。
語彙の獲得、そして定着にはある程度役に立つと思われる。
しかし、分かったとして自分で使えるほどにはならない感じなので、「いつかどこかで出会えば意味わかるかも」という語彙が増えていくという印象だ。
文章を日頃から書くなにかをしている人であれば、使える語彙が増えることになるかもしれない。
次に③の漢字について。
私からすると、これが一番でかい気がする。
①、②については「天声人語を書き写す」ではなくとも、「新聞を読む」という行為でも得られることではある。
しかし、これは実際に「書く」という行為をやって初めてわかることだ。
スマホやパソコンでカチャカチャポチポチもしくはスワイプで文を書くこと、多くないですか?
私はそんなんばっかりなので、読めるけど書けない漢字が大量にあることを思い知らされた。
ちなみに昨日新たに分かった「意外と書けない漢字」は「隙」である。
「え?書いたことなくない?」と思った。五回くらい見直してやっと書けた。
こういう漢字に出会うことがしばしばあり、すっかりビビってしまった。
でも、天声人語のおかげで無事にかけるようになりました。ありがとうございました。
なにか書く時ひらがなばっかりは恥ずかしいと個人的には思うので、実際に書ける漢字が増えたのは一番うれしかったと思う。
次に④。読解力について。
読んで、要約。というのをやってみた。
これはそこそこ頭を使った。
何が言いたいのか、どこが大事なのか
というのを考えて読む癖はつけて損はないと思う。
読解力を図る術がもうないので、実際に身に付いたのか証明しろと言われれば、おどおどしてしまうのは間違いないが、話の趣旨を理解する練習になるのは確かだろう。
以上が一冊分やって気付いたよかったところ。
意外と無意味ではなかったな、と思う。
しかし、どれもこれも「これをすることで得られるものを探そう!」という前向きな気持ちで取り組んだので得られたことのように思う。
分からなかったら調べるということをしないで、また伝えたいことを読み取ろうとしないでただ書き写すだけではやっぱり意味がないと思う。
ただただやらされているだけの小学生とかは正直微妙。
「あんなの意味なかった!」と言いたくなる気持ちもわかる。
まぁ、それについては天声人語以外にも言えよう。
「できるようになるぞ~!」という気持ちでやらなければ、自然と何かを獲得できるなんて都合のいいことはきっと世の中にはないのだろうな…
というのも今回の気づきの一つ。
ちなみにほぼほぼ心を無にしてやっているバイトで何もできるようになっていないので、これはもう、実感としてめちゃくちゃある。
話それちゃった。
あ、よく言われている「文章力がつく」ということについてはよくわからなかった。
特に書くことについては。
たった一月程度しかやっていないのもあるし、文章力のあるなしはなかなか判断しにくい。主観であればなおさら。
このnote見て、「文章力あがってるな~~!」と思った人がいるとしたら、文章力がついているのかもしれない。
「文章力がつく」がよくわからない、という理由はもう一つある。
天声人語は独特な構成をとっているからだ。
読んでみると分かると思うが、まず初めになんらかの事例が来る。
この時点では「え?何の話?」と思うのだが、中盤あたりでテーマを明かされ、「あ~それの導入だったのか」と納得する。
で、そのあと結論。みたいな。
「どういうこと?」と思わせるのがうまく、話に引き込まれるのは確かだが、なんというか、割と小説チックというか…
天声人語の書き写しをやるのは主に小学生とかだろうと思うのだが、その時に習うテンプレートとは少し違うと感じる。
そのころに習うのは「結論→理由」という論理だった文章の構成だろう。
私たちがそのあと受験等で読むのもそういった構成をとる評論などが多いし、今私が就活のエントリーシートで求められているのも「結論ファースト」だ。
だから、普通に生きていたら、そのまま天声人語のような文章を書いて評価されるような土俵には立たない。
もちろん評価や受験、就活等々がすべてではないのは承知しているが、「はたして?」という気持ちを抱えずにはいられない。
いわば天声人語は文章を書くという行為において「守破離」の「離」的な段階にあるのだろう。
一般的な「わかりやすい文章」のテンプレには則っていないものの、すごそうな雰囲気が漂っている(実際にすごいのかどうか判断する目が私にはないのでこういう表現になるのを許してほしい)
「守破離」の「守」の段階の人が必死に「離」の人のモノマネをしてみたところで、書き方がごちゃついてしまうのではなかろうか、と思う。
徐々にやんなきゃ、やっぱ。
中国語ばりばりの初心者なのに中国語で急に作文書かされて「タスケテ」となった私からすると「基礎→応用」という順番がどうしても大事に思えてしまう。
もっとも「守破離」があてはまるかどうかも判別がつかないのだが。
以上のように「文章を書く」ということについては少々疑問であるので、「やったことあるよ、文章力ついたよ」という方はお話を聞かせてほしい。
想像以上に長いので次回に持ち越し!
次はよくなかったこと編をお送りしよう。
馬鹿長いのに読んでくれた人、ありがとう。