徳島県神山町がレベチだった話。
Prologue
旅の最終地点「神山町」
長いときは一日12時間近くPCと向き合っている私の掌は、いつも凝っている。
掌を上に向け、指先を反対の手でぐーっとストレッチをすると気持ちが良い。
そんなことをしていると、普段身体機能のことにむとんちゃくな夫が、
「指っていつも曲がる方向に力がはたらくから、反対方向にストレッチすると脳が"いつもと違う"って刺激をうけてめちゃくちゃ活性化するらしいよ」
と言った。確かに掌を反対方向に、指を伸展させるストレッチをすると頭がスッキリする。へぇ、たまにはやるじゃないか。
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人口4300人の町、徳島県神山町。昨今移住者が増えていて、地方創生のモデルケースともなる、山々に囲まれ、綺麗な川が流れる美しい町だ。
「かめきちのなつやすみ最終章」をこの町で過ごした2日間が、まるで宝石箱に宝石をザラザラと敷き詰めたようなとても素敵な経験だった。そう。レベチな体験。忘れたくないので、神山町を出た今日からこれを書き始める。
虚栄での競争原理がはたらく都市、東京
徳島県神山町のある一つの小さな地域で開催された「地元のお祭」では、廃校になった学校と公民館で、屋台と出し物をしていた。
出し物は、かき氷やフランクフルト、衝撃をうけたうな丼。(とても旨かった)、おみくじ、飲み物販売。確か横並びのテントが4〜5個立っていた。あとは公民館の出し物プログラムはダンスと獅子舞、演歌(個人)、演歌(個人)、演歌(個人)、えんk…
12年間都会に住んでいる私からすると、お世辞にも派手とはいえない催しだった。
ところが、この数十分後私の心に第一の革命が起きる。(大げさだが、本当にこのあと何回も革命が起きているのでどうかお付き合いください)
まず一番に思ったのは、こどもが多い。
過疎地=こどもが少ない、というイメージが強かった。
現に、2年前の夏に住んでいた石川県加賀市の山中温泉地区では滞在していた1ヶ月の間で見たこどもはおそらく片手で数えるくらいだったと思う。(たまに運転していてこどもを見かけると、精霊かなにかを見た気分になった)
神山町のお祭りではこどもがわんさかいた。聞くところによると保育所には待機児童が出ているほどだと言う。
こどもたちが公民館でダンスの発表をしているとき、パイプ椅子に座っている大人が皆身を乗り出してステージを凝視している。
こどもたちがブレイクダンスのポーズを決めると拍手喝采。おぉー!ヒュー!!!と黄色い歓声が響く。
こどもが走り回っても、大人にぶつかっても、ボールを蹴飛ばしても、蹴飛ばしてきたボールが当たっても、一切怒号は聞こえない。
みな、地域のこどもをまんべんなく大事にして愛しているのだと感じた。
そして、地域の女性たちがとても綺麗な人が多いと思った。なんというか、ゴテゴテしていないナチュラルな綺麗な人が多かった。
女性皆、フィルターをかけたアプリで目をまんまるにした写真を撮ったり、なんどもスマホで自分の姿を確認したりせずに
「久しぶり〜!」などと周囲の人たちと笑顔でふれあい、話し込んでいた。
(いや真相はわからないけど、少なくともかめきちにはそう見えたw)
言い方は悪いかもしれないが、「いい意味で人と人の競争原理が働かない」と思った。
オンラインで、顔の見えない相手に、いかに多くの人にリーチさせるか。
見せ方や映え方に対してSNS上で四苦八苦している私は、素直にオフラインで人と関わることの美しさやオフラインで人からもらうエネルギーというのをギュンギュンに感じた。
虚栄での競争原理に塗れた東京は、「人から自分がどう見られているか」を軸に自分を着飾ることに必死な人が多い。私を含めて。
円香さんとヒロさん。
さて、どうして私がなつやすみに徳島県神山町を選んだのか。いや、呼ばれたのか。
8年前に東京でシェアハウスに住んでいた。私は8月に入居し、そのすぐあとに円香さんという4歳年上の女性が入居した。入居時期が近かったので親近感が湧いたのを覚えている。
円香さんが入居したとき、共有部のスペースに「すだち」をお土産においてくれていた。
当時からお酒が寝ても覚めても大好きだった私は、ふと焼酎のソーダ割りにすだちを半分にカットして絞って「自己流すだちサワー」を作って飲んだ。
それがめちゃくちゃ美味しくて、今でも鮮明に覚えている。
円香さんは凛とした女性だった。
ハロウィンパーティーのコスプレコンテストで、優勝者の発表のときに私がワクワクしながら円香さんに「優勝者、誰だと思う?!」と尋ねたら、
『私ね、かめきちだと思うよ。』とサラッと言ってくれた。(優勝しました)
みんながわーっと遊んでいるときも、PCをぱちぱちと叩いていた。仕事が忙しかったのか、そこまで仲が深まる前に退去をしてしまった。
なつやすみを取ると決めて、ふと「オススメの場所ありますか?」とFacebookに投稿したら、円香さんから「かめきち神山町おいでよー!」とコメントをもらい
直感で「あ、行きたい。」と思った。このバックボーンには、円香さんが神山町で地域おこしをして昨年本を出版していたため、純粋に惹かれるものもあったのだ。
この日から私の心の中に「神山町」というワードがずっと残る。一切、強迫観念のない「行かなくてはならない」という気持ちにさせてくれるような、引き寄せられる何かがそのコメントにはあった。
そして神山町へ行く当日、円香さんからmessengerで「夫もかめきちに会いたいって!行っていいー?」と連絡が来て二つ返事でもちろん!と返した。
円香さんの旦那さん、確実に素敵な人だろうとこれまた直感で思ったからだ。
そしてこの直感「素敵な人だろう」を超越する人と私はその日出会う。
円香さんの旦那さんはヒロさんという。
はじめて待ち合わせしたとき、ヒロさんは即座に私のスーツケースを持ってトランクにいれてくれた。
(ちなみにこのスーツケースに手を伸ばしてもらった時、握手かと勘違いして握手した。めっちゃ笑ってくれた)
ヒロさんは話すときのパカッとした笑顔がとても印象的な人だ。
肩に大きな蛾が止まりひらひらと気持ちよさそうにしていても、平然と笑い、
車の窓を全開にしてアクセルを踏み、「風がきもちぃーーーね!」といい、
壮大な川を前に「かめきち!これ、ぜーーーんぶ無料だぜ?!?!」といい、
川で見つけた石を手に取り「カッコいい石!!」と言って家に持ち帰り、
どのシーンでも「こうやって過ごすのがオススメだよ!!」と、
屈託のない笑顔でまるで「人に喜んでもらう」ことに対して生きがいがあるかのような、ものすごく自然に相手にGiveする人だった。
円香さんとヒロさんは、
山道を歩きながら当たり前のように落ちているペットボトルを拾い、
町をみながら「あそこが崩れて危なそうだね、役場に連絡しようか」と言ったり、家の庭に向日葵が咲いたから寝室に飾ろう、と提案したり、
「いただきます・ごちそうさま」の儀式があったり(これがまたとてもかわいいのだ)
二人でいろんなことやいろんな美味しいものを共有して、楽しんで、町を愛して暮らしている、すごく温かく自然な空気をまとった二人だった。
「水のある町は、豊かだよね」
古民家をリノベーションした、山の高いところにある二人のおうちはなんかもう語彙力ふっとぶくらいすごかった。
「かめきち!ウェルカムビールだよ!」と、神山町のクラフトビールを飲ませてもらいながらいろんな話をしてもらった。
私は移住後の円香さんに起こっている変化、暮らし方や働き方が同じ女性としてとても興味があった。尋ねると、「暮らしに目を向けること」「丁寧に暮らすこと」を考えるようになったことが神山町に来て変わったことだと円香さんは言う。
また、災害があったときの生きる力を身につけられたとも言った。
「なんとかなる」っていうのを学んだかなー。とサラッと円香さんは言ったが、もし災害があったら私が住むタワマンが乱立する都市なんかは大パニックだ。私は電波がなくなったら食っていけない。そう、なんとかはならない。
24歳の頃、日本を外から見てみたくて、「豊かさとはなにか」を探しに地球一周の旅に出た。
結果私は豊かさに目を向けるというよりも世の中の不平等さや不公正さ、絶対的な不幸や苦しみの方に目が行くことが多くなり、現在は「小児の発達支援者」として開業をしている。
独立して数年、自分が倒れたら仕事がストップしてしまうという今までにない恐怖から我武者羅に働いてきた。
その我武者羅加減はときに私の生活の質をメキメキと落とし、心がべりべりと削がれていく、そんな数年を送っていたため
「豊か」とは程遠い生活を送っていたのかもしれない。
「水のある町は、豊かだよね。」と、河に足をつけながらヒロさんは言った。本当にそう思う。河、見渡す限りの緑、大木、綺麗な花々、頭を垂れていく稲穂、満点の星空。そこには『田舎』という言葉では到底片付けられない神秘的で美しい環境があった。そこに身を置き、そこから選択肢を得ること、そしてその選択肢がなければ自分で作り出すこと、それが私は真の『豊かさ』なのではないかと思った。
暑いから河に足をつけながらビール飲もう。
庭で収穫したトマトを食べよう。
椅子がなくても、竹と板で即席椅子作ろう。
こういった選択肢がたくさん生み出されるのが、豊かさなんだ。
私は今、暮らしに目を向けているだろうか。誰かと目と手を合わせて「いただきます」と言っているだろうか。私が毎日買っている野菜や卵の生産地を考えたことがあるだろうか。
お昼にたらふく神山町の野菜と円香さん特性のハンバーグを食べて
ごろんと昼寝をしながら、そんなことを思った。
Epilogue
徳島県神山町での2日間は「いつもと違う」の連続だった。掌を上に向けて指を伸ばすストレッチのように、いつも使わない脳みその場所がぐるんとひっくり返り、そこがぐーーーっと伸ばされた。そんな感覚をもらった。やはりやったことがないことをする、行ったことないところに行く、話したことがない人と話す、はすごく脳が活性化するのだ。心が震えるのだ。
円香さんにちょこちょこ、その時時の気持ちを話していた。
「こんな気持ちになる神山町ってすごいですね!!」と興奮気味に言うと
『それは、かめきちの受け取り方だよ。感受性だよ。』と言ってくれた。8年ぶりにあった円香さんは、ビシバシバリキャリ系女子からほわん系農業狩猟女子になっていた。どちらも目の光は変わらず、本当に楽しそうに笑う姿はかわりはなかった。
私が見た綺麗なものたち
🔻円香さんが執筆した
「まちの風景をつくる学校 神山の小さな高校が試したこと」
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