わたしの好きな人
ふと気がついたことがある。ので書く。
他者に比べて人間関係の構築がとても上手であり、他者に比べて人間関係の存続がとても下手な私だが、とてもすきなひとたちがいる。
人間関係潔癖症であるわたしにとって、わたしのすきなひとたちは、本当に本当に特別な存在である。
夫や、十数年来の親友や、ビジネスパートナーや、オンラインで繋がっているひとたちやわたしのそばにいてくれて、わたしがとてもすきな人に、間違いのない絶対的な共通点がある。
それは、
私が意見したことに対して「わかった!」といってくれること。
いや、それが「わかった」でなくてもいいのだ。
「なるほどね」「ふーん」「そうなんだ」「うん」「OK」「🙆♀️」
みたいな、
ただただ自分の意見を否定せずに肯定してくれる、とかではなくシンプルにその場で納得してくれる、理解してくれることが多いのだ
いわば
「なるほどね、かめきちがそういうんだったらそーなのね」
の人。
この感じがとてもとてもとてもすき。ほかにいいようがないくらい大好き。
一見とても自分勝手のようだが、若干のドライビング(社長)タイプなわたしは常に会話や決定の主導権を自分で持っていたいフシがある。
それはわたしのいったことがすべて、ということを言いたいのではなく、シンプルに会話の内容をそこで完結したいのだ。
私は、"今は相手に会話の主導権を渡したい"ときは会話のベースを相手に渡し、自分がどうしても意見がほしいときや、自分の感情を整理できないときは相手に委ねる。
逆を言えば基本的には自分の中で吟味してすでに自分の頭のなかで決定した事項を相手に話すことが多い。そのために、もう自分の頭の中で結論がでたところからとやかく言われるのがとにかく嫌いなのだ(本当ヤなやつw)
そしてなによりも自分のことを肯定してくれた、受け入れてくれた、という気持ちがとても安心する。他者を否定しないということは簡単なことのようで非常に難しいことだと思う。
この一言の、あぁそうなんだ。君(かめきち)はそうしたかったんだね。ということは人によっては「え、それだけ?!私のことを大切に思っていないの?!」という感情を産みちらかしてしまうかもしれないが、違うんだよ。
なので、私も大好きな人には言う。「そうなんだね。」「なるほどね」
と。
人間は"そのときその選択をした"の連続だから、相手の選択を尊重して生きていきたい。