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実のところ私は父親から育児放棄をされてなかった説


人間として未完成であり、欠落している部分が多い私だが、ありがたいことに多方面から講演、講師、開発のお手伝いなどのお仕事の依頼をいただく。

20代で独立したが、なにかの才能が秀でているわけではなく、ただただ「自分の責任を自分でとりたい」という気持ちのままで突っ走って独立したため、
特段人と比べて優秀であったり、知識があったりするわけではないのだ。

ふと先日北海道で車を運転しているとき、美瑛の広大な景色を見ながら考えたことがある。

「どうして私は自ら取りに行ってないのにお仕事がくるんだろう?」と。

(バチボコ上から目線ですみません)


誰かに求められる、お仕事をいただく、お金をいただく。
このことを当たり前だと思いたくなく、ずっとずっと感謝して生きてきたいので分析する。書く。よし。



①わからない人の気持ちがわかる説


私は成績優秀な人間ではなかった。
上の兄の頭がよくて〜、とか、きょうだいと比べられて〜、ということも特段なく、3人兄弟みんなそこまでかしこくなかった。(兄。ごめん)

かといってめちゃくちゃ勉強できずにスポーツができるとか、絵がかけるとかもなく、平々凡々な人間だったが、途端に成績が悪くなった時期があった。

そう、グレてしまったのだ。


それも今思うと本当にわかりやすくグレた。
学校にいかない、ギャルになる、先輩とつるむ、家に帰らない、なんか悪いことしてみる。みたいな。今思うと可愛い。

グレた根底にあったのも「ママ〜〜!!あたちのことみて〜〜〜!!こんなに悪いことちてるの〜〜〜!!叱って〜〜〜!!!ちゃみちいの〜〜〜!!!」っていう心底恥ずかしい理由だったのだが、このグレた時代があり勉強ができないときに「わからない」ということを知った。

シンプルに勉強をしなかったので、
勉強のやり方がわからなかったのだ。

そこから専門学校に入り勉強方法を学び、メキメキと成績が上がっていったので

「わからない人のきもちがわかる」
「わからない人がどうしたらわかるようになるかがわかる」

ということが生じ、というかみんな大抵のことがわかってなくて、それに対して質問ができないという仕組みが理解できていたのだ。


なので私の講義や講演はありがたいことに「わかりやすい」と言っていただくのだと思う。そこから仕事の依頼につながっているのでは無いかと思う。




②実はかめきちは根っからのギバーだった説

バギーじゃないよ、ギバーだよ。

私のフリーランス人生が幸先よく幕開けできたのは、紛れもなく「他者貢献を意識したgive」を1年間行ってきたからだと思う。

お金に走らない。まずは信頼と信用を構築する。

小手先のテクニックではなく、じっくり、じっくりと私のことを知ってもらう。お金なんてあとからいくらでもついてくるけど、信頼や信用は絶対に対価がつけられない。そしていくら金銭を積んでも私のターゲットには届かない。うっすらとそう思っていたので、粛々とギバーに徹した。


なんだけど、今思うと

「なんで急に私これができたんや????」


と、当時は当たり前に(というか必死に)動いてたこと、動けてたことが今となっちゃ疑問である。

となったときにふと思ったことは、独立云々も勿論そうだが

「かめきちはもともとギバー精神を持っていたのではないか」ということ。


ギバー。
人に与えられる人。奉仕できる人。人が何を望んでいるか分かる人。


まさに私はこれだった。
人が望むことを評価して必要なものを与える。
これは理学療法の"評価"、"結果の統合と解釈"、"治療プランの立案"、"治療結果の考察"というところに通ずると思う。

私はこれを医療知識がない時代からもともと出来ていたのかもしれない。

その絶対的な理由として、私は嫌われるのが怖かった。
というところが根底にあるからだと思う。



誰からも嫌われたくなく、八方美人だったから(定期:八方ブスよりいいだろ説)例えば5人いる中でそのグループの空気を悪くさせない、楽しくさせるにはどうしたらいいかと考えて行動することが多かった。

そうしたら3周くらい回って
「空気を読んでいることを悟られずに空気を読み、それを飲み込んで行動できる人間」が誕生してしまった。

嫌われたくない私のエネルギーたるや、想像を絶するものだったんだと思う。


そして、何よりも人から愛されたかった。


私の乾いた心はどんなに周りが愛をつゆだくにかけてくれても、染み渡ってはすぐ干上がり、染み渡ってはすぐ干上がりを繰り返していた。


そんなこんな永遠つゆだく・干ばつループを巡っていたら「こうしたら相手から好かれるんだ」というノウハウをいつの日か身につけたり、「女性が手っ取り早く愛されるには生物学上、男性と時間を過ごせばいいんだ」という歪んだ時代を過ごしてしまったこともある。(これは本当に歪んだ考え方だったので、後悔していることたくさんあります。)


この私の歪んでそうで歪んでいない、でもどこかちょっと歪んでいるギバー精神の根底の2つに

・嫌われたくない
・愛されたい

という純粋で強欲な心があった。ではこの心はどこから来たんだろう。

③父親との関係性が自分を構築した説


去年の夏、勇気を出して自分のパンドラの箱をあけた。
十数年の自分を分析して、アウトプットした。
このアウトプットが苦しくて苦しくて苦しくて、
何度ももう出来ないと思った。けど途中でやめたくなかったから、
しっかりヤツのことを考えた。そう、私の人生のラスボス「ちちおや」だ。


この記事を書いたとき、

・私は捨てられる不安が強かった
・父親のことを愛していた
・親も親になるのが初めてだったんだね

という結論に至った。
書いたあと、夏休みの宿題を提出したような(実際かめきちの夏休みだったし)スッキリとした気持ちになったが、
こちらの記事を熟読していただいた方ならおわかりであろう。


まだ父親への反骨精神がバチボコに強いことを。


“きっと私は父親を許すことができない。許すことができない自分を何年も悔やんだ。母も兄も「しょうがなかったよね」と笑いながら言う。家族で私だけ、たった一人で馬鹿みたいに父親をこんなに引きずっている。こんな私の精神がよっぽどおかしいのかと悩んだ。何年経っても私だけ父親の影にしがみついているのだ。けど、悔しいけどそれだけ彼を愛していたのだ。愛したかったし、愛されたかった。だから一生許すことなんてできない。”

原文抜粋


いや一生許すことができないって書いとるやんけ笑



完結したであろうことがまったく完結できていなかった。
パパと娘の物語。ちくしょう。どこまで父は私を苦しめるのだ。
こんなにこんなに苦しめられたんだ、いつか首絞めてやる。


そんなことはさておき、今回の私の疑問「どうして私はこんなにお仕事をいただけるのであろう」

というところの根底には



自分のことを見てほしくて、寂しくて、
グレた結果、わからないことがわかるようになって
嫌われたくない人間になり、愛を知った結果、
ギバーに成り上がることができた。
んだと思う。


そう、私の根底には「お父さんに愛されたくてもがいていた自分」
がいる。



そうか、そう思うと私は父に捨てられたあとも
父から巡り巡って教育を受けていたのだ。


私は父からある意味育児放棄をされたのかもしれないけれど、
ちゃんと自分の中で彼と戦いながら生きてくることができたんだ。



父との思いは呪いのようだったが、その呪いの解き方を誰にも教えてもらえなかったけど、自分でたくさんたくさん考えて行動してきたのだ。



父から育てられてないと思ったけど、実はずっとずっと育ててもらっていたのだ。


クソ憎い父親だけど、あなたから頂戴した仕打ちを私は無限大のパワーにして、形を変えて、たくさんの人に届けられるようになった。
このことを心から感謝している。



いつかこの私がそっちに出向いて首絞めてあげるから、それまでせいぜい元気でいてくれ。カッコ悪い死に方なんてしないでおくれよ。いつか私がカッコよく天国に放り投げてやるからね。



                2022年8月1日 かめきちの夏休み最終日


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