数ヶ月に一回必ず病む女の話
こんにちは。
亀きちでもなく、カメ吉でもなく、亀吉でもない、かめきちです。
数ヶ月に一度、とんでもない暗黒期が私を襲う。
こういうとすごい私が病む人みたいなんだけど、そうじゃなくて。笑
私は尖っている自分が好きだ。頭を働かせて、尖って鋭くて、自らの世界を作り上げてそこで成功することが好きだ。
そして、人に見られることが好きだ。私という人間にフォーカスがあたり、注目されることが大好きだ。
人前に出て、「私だったらできないな〜」と言われることを多少の失敗があっても、やってのける自分が好きだ。要は、カッコつけたのがカッコついて、その姿を見られることにズブズブの快感を得ている。(なんならオーガズム)
この自分のことが大好きなビキビキの時期はきっと私の感情を常にいいふうに逆立てる脳内麻薬、そう「アドレナリン」がダバダバと溢れ出ていることであろう。
このアドレナリンはすごい。
瞬時に高揚感を高め、覚醒度を上げ、集中力を研ぎ澄ませてくれる。プロの人間がよく言う、ゾーンに入る。この状態。
本当に麻薬なのだ。覚醒剤なのだ。
察しの通り所詮麻薬は所詮麻薬にすぎず、この麻薬が切れたときにはあれよあれよと言う間に真っ逆さまに堕ちていく。先日までの全身から満ち溢れるほどの自信がどこか消え去り、「この世に私は必要とされないんだ」「私なんか生きていても仕方がないんだ」と思うくらい。かめきちのメンタルは上がったり下がったり、そんな心臓破りの坂もびっくりのアップダウン具合なのだ。
今年の4月に独立して、ビジネスとしても、いち家庭の妻としても安定していなければいけない私なのだが、どうしてもこうしてもこの上げ下げには振り回されてしまう。
いい加減しんどいので、自己分析してみた。(noteは自己分析のためなので)
どうして私はこうも騒ぎ続けるのだろうか。アドレナリンを出して人に注目されたいのだろうか。
おそらくそこには小さい頃見ていた自分の母親の姿がある。
私の母親はとても小さく、か細く、そして地味な人だった。
いつもいつでも地味な洋服を着て、素朴な味を好み、激昂したり声を荒らげたりもせず、かと言えば顔をくしゃくしゃにして笑うこともなかった。きょうだい3人がグレても、母の涙なんて見た試しがなかった。とてつもなく冷静で、平坦な女性だった。
私は今思うと嫌だったのだ。
母のような落ち着いた、何も言わない人間になることを恐れていた。
いつも誰かに自分を見てほしくて、認めてほしかった。なにか言える人になりたかった。
私がアドレナリンを出してこうも上がったり下がったりするのは自分はここにいるよ、ここにいるから見てよ、私がここにいる意味があるでしょ、と言う意思表示をしているのだ。
母のようになりたくないと思う反面、自分の振りかざしているアドレナリンという諸刃の剣に押しつぶされそうになる。
今日も私は誰か見てよと叫んでいる。でもその叫びが誰かの救いになり、世の中に還元できるものであれば私はいいのだ。
愛能う人間で生きていきたい。
ということで明日もゾーンに入りまくるぞ〜〜〜〜〜〜〜