「統一感」が無いようで在る女の話
情報発信をしている中で、いかに「人目につきやすくなるか」を大事にしている。
かめきちの売りは、内容が専門的だけど保護者にわかる内容であること、
問題点と解決策をセットで提示すること、顔出しをしていること、
ハキハキ喋ること、そしてちょっとポップで親しみのあるデザインを心がけている。
そう。デザイン。
私は今までデザインから無意識的に避けて生きてきた。
昔から、ファッションセンスがないとか
パワポのスライドの配色が見にくいとか
色使いが下手とか、所謂デザインということに関してマイナスな指摘を受けることが
多かったからだと思う。
色と色の組み合わせや、何がどうなるとおしゃれとか綺麗とかがよくわからないのだ。
ただ、それは色合いなり配置なりの「綺麗の法則」がわかっていなかったので、ただただ知らないことを知ろうとしていなかっただけであった。
Instagramの投稿をCanvaで作るようになり、
デザインには規則性・法則性があることをたくさん知った。
そして、「自分の好き」をデザインに反映させることもとても大事なことだとわかった。
自分の好きをコンテンツにすることによって、次も作ろう、継続しようという創作意欲が湧いてくる。
そして自分の生み出したコンテンツがまるで分身のように、相棒のように、恋人のように愛しくなれるのだ。
そこで最近私が「好き」で「うつくしい」と思ったものが
“統一感”
である。
おそらく日本人は統一感が好きな人が大多数であると思うが、
私は色や配置、何かが何かで揃えられているものにとても惹かれる。
逆に統一感のないデザインはうつくしいと思えない。
ただ、すべてがピタッとしていたいわけではなく、
「その中で統一しているナニカ」にこれまた非常にうつくしさを感じる。
ふと思った。
私は素っ頓狂なことをする人間だ。
所謂変わり者街道を生きてきた、人生こじらせ女なのだが、
私の人生は一貫している。
やると言ったことは絶対にやる有言実行型だし、一つのことを真剣に年単位で行う努力もできる。
自分がこうだと思ったらその道を突き進むし、変に気持ちを散り散りにしたりしない。
そう、無さそうだが実は私の人生には「統一感」が存在していることに気がついた。
てんでんばらばらに感じそうで実は一貫性のある統一された私の人生、
大事に生きていこう。今日も明日も。愛を込めて。
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