いつか袋叩きにされると思うと夜もねれない話
私のSNSでの立ち位置は絶妙だ。
自分でもなんと表現していいかわからない場所にいる。
例えば、私がInstagramで紹介した書籍はすぐ売れる。おすすめの物品をアップすると数多の購入報告が来る。そして私がかめリハで使用してるグッズをフォロワーさんが持っていることなんてザラだ。かめきちが良いと思うものはみんなほしいらしい。
じゃあ、私が莫大なフォロワー数を抱えているかと言われると実はそうでもない。投稿のエンゲージメント数もフォロワー数に比べると少ない(ちょっと悲しい)
まだまだ有名であるとは言い難い人間なのだ。
言い難い人間なのだが、プロとして情報発信をしているからには一定の発言への責任が生まれてくる。このどこから誕生したか経路不明な責任くんには一応配慮しているつもりなのだが、いかんせん相手は画面越しにいる。
多少のニュアンスの違いや言葉の隅の方の使い方の誤差によって、捉え方によっては私の発言一つで心が安心する人もいれば、怒り心頭になる方もいれば、涙を流すほど喜んでくれる方もいれば、はたまた死ぬほど落ち込んでしまう人もいる。
かといって100人全員を傷つけない話し方をしても、相手の心に刺さるような話は絶対できない。そんな60点の解答なんてだれも求めていない。
だから私は30点くらいの話と90点くらいの話を織り交ぜて話しているのだが、この赤点ギリギリの発言がクリティカルヒットしてしまうと袋だたきにされてしまう。幸い今まで私は吊るし上げられたことなどはないが、今後この活動をしていたらいつかは叩かれる日がくるかもしれない。
表現の自由展はあるけど発言の自由展はないのだろうか。
あったら政治家がこぞって参加する気がする。笑
まぁそんなことはどうでもいいのだが、
"SNSで発言する"ということは極端かもしれないが
「チョコレートが好き」の発言ひとつで、
『どんな種類のチョコがおすすめですか?』
『私も好き!美味しいよね』
『太るから辞めなよ』
『私はビスケットのほうが好き』
『チョコ以外の甘いものは全部嫌いってことですか?』
『チョコを食べられない人の気持ちを考えてください』
こんなリプライになっていくのだ。(たとえね)
まぁ、これが顔の見えない相手との会話だよね。笑
節度をもって私はわたしらしく発言をしていきたいものです。
すべての人間を救うすべはないってわかっている。わかっているけど最大限の努力はしたいから、私はパブリックでの発言もするし、個別対応もするし、教育事業もやる。頑張れなくなったらそのときはそのとき。今自分が積んでいるエンジンで走れるところまで走ります。