子ども時代に出合う本 #01 はじめに
プロフィールに変えて
コロナ禍で一段と進んでいるDX(Digital Transformation)、子どもたちの生活の中にもデジタルは深く浸透しはじめています。
先日、ある図書館で小学生のグループがタブレット端末を使って宿題をしていました。
2022年1月11日(火)の朝日新聞朝刊一面には「子どもの読書 電子化の波 学校向けサブスク続々 紙と併用」(有料会員記事)という記事が掲載されました。
子どもたちの読書の形も変わりつつあることを実感しています。
一方で、メアリアン・ウフル著『デジタルで読む脳×紙の本で読む脳』(大田直子/訳 インターシフト 2020)を読むと、深く読むという力を得るためには、生後数年の間の「耳から聞く読書」と小学校低学年までの「紙の本で読む経験」がとても重要であることがわかります。
「子どもに本を手渡す」ということの持つ意味について思うことをこれから綴っていきたいと思います。
子どもと本に関わってきた日々
私は大学で児童教育学を専攻、ゼミは絵本論でした。大学院では子どもの想像性を育む教育とはなにかを研究していました。
修士課程修了後、幼稚園に勤務、副園長を務めたあと結婚しました。4人の子どもを育てながら、家庭を開放しての文庫活動(私設の小さな図書室)を1989年から続けてきました。
香港、東京、シンガポール、東京と転勤する中でも、ずっと活動を続けてきました。活動を通して出会った子どもたちは延べ人数ですが5000人を超えています。小さな子どもだった利用者が、お父さん、お母さんになってお子さんを連れてくるケースもあります。
子どもたちがおとなの膝の上に座ってたっぷり読んでもらう経験、そして成長に合わせて自分で読むことへ移行し、長編にチャレンジする体験が、子どもたちのことばと心を豊かに育んでいくのを目撃してきました。
また、自分たちの身の回りの「センス・オブ・ワンダー」=不思議なことに出会い、もっと深く知りたいと本で調べていく中で、生きた学びをしている様子も多く見てきました。
こうした経験から、子育てが一段落した後に、保育専門学校で絵本論や児童文学論を教えたり、図書館の児童サービス研修に関わる仕事をしたり、また依頼されて図書館や児童館、キッズステーションなどでの絵本講座をしてきました。
大学入学から数えると44年、何らかの形で子どもと子どもの本に関わってきたと言えます。
原点は子ども時代
子どもの本にここまで関わってきたのはどうしてだろう?と思うと、やはり子ども時代の体験に繋がっています。
私の父はキリスト教会の牧師でした。山口県の小さな町の小さな教会には付属幼稚園があり、父は園長を兼任していたのです。
同じ敷地内にある牧師館に住んでいたため、私の子ども時代は教会と幼稚園の中で育ったといっても過言ではありません。
小さな幼稚園でしたが、小さな図書室があり、子どもの本の黄金期ともいえる1960~70年代の良質な絵本や幼年童話が置いてありました。私は、そこで次々に本を読んでいたのです。
ある時は、グリム童話に出てくるお姫さまになり、ある時は絶海の孤島に漂流した冒険者になり、ある時はアメリカのインディアンになり、ある時は昔話のおじいさんになって、物語の世界に入り込み、ドキドキしたり、ハラハラしたり、ワクワクしたり、という疑似体験をしました。
物語の登場人物になりきって、友達と劇遊びをしたり、絵を描いたり、本は私の世界を広げていってくれたのでした。
そんな経験は、小学校3年の時に出会った1冊の本でさらに大きく変わりました。
それは黒人奴隷をテーマにしたストウ夫人の『アンクルトムの小屋』でした。
(続く)
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