第19号 2022.01.23:おばあちゃんの歌、私の歌
■ おばあちゃんの歌、私の歌
祖母の短歌が新聞に載った。
もともと言葉を好む人だった。本をたくさん読んでいたようだったし、私にも買い与えてくれた。祖父母と本屋に行くのが好きだった。彼女の古い日記を見たこともある。ちらりと目にした程度だったけれど、流れるような文章で日々を記録していたのが分かった。
祖母が短歌教室に通い始めたのは、新聞への投稿を始めたのはいつのことだったか。少なくとも私の物心がついた後だったと思う。私の結婚式には電報で、私と従妹たちとの思い出を三十一文字に見事に閉じ込めた歌を贈ってくれた。
そんな祖母は数年前、脳の病気をした。利き手である右手が動かなくなって、言葉がすっと口から出なくなった。それでも祖母は左手で鉛筆を握り、彼女だけの歌を新聞社宛の葉書に刻み続けている。
ひとつ後悔していることがある。病気をした後に送った歌が初めて掲載された新聞を見て、祖母に電話を掛けたときのこと。
「すごいね!」と私は言った。病気をしても短歌を作り続けることが。これまで見た景色を、嗅いだ匂いを、聞いた音を、頭の引き出しから取り出す。それについて思いを巡らせる、想像する、言葉にする。そうやってできた歌を葉書に書く。
脳の病気をした祖母にとってそれがどのぐらい難しいことなのか、または健常者とさほど変わらないのか、正直なところ私は何も分かっていない。そんな状態なのに、それは彼女にとって大変なことだと勝手に決めつけて発言した。それは楽しいことだったかもしれないのに。
なんであのとき歌についての感想を言わなかったんだろう。「すごいね!」で終わらせたのだろう。それはあまりにも自分ベースで、上から目線にも思える。そのときの祖母の反応に違和感は感じなかったと記憶している。もしかしたら、彼女は何も感じなかったかもしれない。でも私はそのときの自分自身の発言を、今も根に持っている。
朝新聞で祖母の短歌を見て、いつものようにおめでとうを伝える電話をした。「この歌はどういう意味なの?」と聞いてみる。「これは想像を巡らせて書いたものだから、完全に私の話というわけではないけれど。もうお婆さんになった私だから詠める歌なの。」と、ゆっくりゆっくりと言葉を紡ぎながら祖母は教えてくれる。「これまでに色々なことを経験して、想像できるから歌にできるってことかな。なんだか作詞をする人みたいだね。」と言うと「よく分かるね。そうだと思う。」と彼女は笑ってくれた。
短歌を始めてみたいと思いつつ、私に歌えることなんて何があるだろうと、始める前から諦めるようなことが続いていた。「お婆さんになった私だから詠める歌」と祖母が言うのを聞いたとき、やっぱり人生経験の浅い私には詠める歌などないのかもしれないと一瞬頭をよぎった。
でももしかして。お婆さんになった祖母にしか詠めない歌があるのなら、今の私にしか詠めない歌もあるんじゃないだろうか?そう思い直した。
2022年、短歌を始めてみようかなと思う。目標は祖母と同じように新聞に掲載されることだ。
■ 摂取エンタメ記録
Reading:『文藝 2022年春季号』
- チョン・ソヨン すんみ 訳「おうち」
この作品は登場人物の性別を特定できない形で描かれている。理由がない限り、性別を限定しようとしない最近の韓国フェミニズムSFの流れを汲んだ描き方と言える。訳す際にも、どの性別でも読めるように細心の注意を払った。もし読んでいて男女の先入観が入ってきてしまうとしたら、訳者の力不足であると同時に、私たちが「ジェンダー」という大きな抗いがたい力に翻弄されているからかもしれない。
訳者であるすんみさんの解題の最後に上記のような記述があった。「おうち」を読んだ私は、無意識のうちにそれを女性と女性の物語と思いながら読んでいた。まさに大きな抗いがたい力に翻弄されているのだと思った。