『偶然と想像』と必然
■ Watching:『偶然と想像』
- 「偶然」と「必然」
「偶然」の反対は「必然」なのだろうか。「偶然」の対義語を調べてみた。分かっていたけれど「必然」と出てくる。でもなんだか違和感がある。
街を歩いていたら「偶然」高校時代の友人に会う。実験中に「偶然」何かを発見する。「偶然」入ったお店のコーヒーが美味しかった。すれ違った人と「偶然」肩がぶつかる。
あれは「偶然」だった、っていつ誰がどのタイミングで判断するのだろう?もしかしたらそれは「必然」かもしれないのに。
特定の信仰を持たない私にとって、「必然」は主観的で希望的だ。どんな出来事でも自分が「必然」にしたいと思いさえすれば、それは「必然」になりうるような気がする。気の持ちようひとつで行き来できるそれらは、対義語ではあるけれど反対というより互いにとても近しいもの同士なのかもしれない。
- 「シネマスコーレ」にて
『偶然と想像』を観るため、初めてシネマスコーレに行った。数えるほどだが、これまでもミニシアターに行ったことはある。どこもそれぞれに映画への愛がみちみちに詰まった空間になっていて、観る前から心が沸き立つ。
シネマスコーレももちろん例外ではなかった。建物の外にはたくさんのポスターや手書きのポップがところ狭しと並んでいる。入口のドアの左には「入場券売場」と書かれた窓口がひとつ。外からお金を払って整理券を受け取り、入れ替えの時間が来るまで外で待機する。しばらく待つと整理券の番号順に呼ばれ、消毒をしてもらいいざ中へ。入ると数歩でスクリーンのある部屋(とその後ろに映写室)。
右を見ても左を見ても映画のことで埋め尽くされた、まさに「映画のための場所」。なんだか外から中まで全体が、ひとつの乗り物のようにも感じられた(移動図書館を思い出したのかも)。
席について前を見て、ああこの「真っ白いスクリーンがぽかんと浮かんでいる」感じが好きだなと思った。
- 『偶然と想像』
偶然と想像をテーマとした40分程度の短編が3つ入った作品である。どの短編も主に2人の人物の会話のシーンが積み重なってできている。その会話は独特の空気を孕んでいて、自然なようにも不自然なようにも聞こえる。ストーリーの展開以前にまずその会話そのものが面白く、ぐんぐん引き込まれていった。
3つの中でどれが好きかというと難しいけれど、中でも特別に思ったのは第三話「もう一度」だった。3編の中で一番「わたしがいる」と思った。タイトルである"もう一度"が繰り返し現れる作りに遊び心が感じられ面白かった。ひとたびの偶然で終わる出来事かもしれないけれど、きっとまたもう一度が有るんじゃないかなと想像したい。
第一話「魔法(よりもっと不確か)」、第三話「もう一度」のタイトルに唸らされた一方で、第二話「扉は開けたままで」が何故このタイトルになったのかというところがいまひとつしっくりこなかった。瀬川教授のリスクヘッジへの気の使い方を強調しているだけなのだろうか。いずれにしても作品の中で「扉」はスリリングな要素だった。
3編とももっと重くしても違和感のないストーリーだったと思うけれど、どこか軽やかなところがあった。何があの軽やかさを生んでいたのだろう。俳優たちの台詞の発し方だろうか。
評の多くで言われていたことではあるが、3編の並べ方も秀逸だった。
- 映画館で観ること
映画が終わりパンフレットを買って外に出たら、降っていた雨も不快じゃなくて、むしろなんとなく素敵に感じられた。『偶然と想像』の雰囲気とこの劇場の空気はよく合っていたと思った。映画館で観た方が良い映画は大きな音や派手なアクションがあるものに限らない。今日ここでこれを観る選択をした私、大正解だ。
■ Reading:『偶然と想像』パンフレット
とにかく文字のページが多く、内容が濃い。1,200円はぱっと見高いけれど、情報量を考えれば高すぎることもない。
作品を反芻することができたし、ストーリーについて新たな発見もあった。
まだ全部読めてはいないけれど、作家・小川哲さんの寄稿「偶然の耐えられない軽さ」は何度も読んで落とし込みたい。マリー・ステファンさんとの対談での濱口監督の「偶然と想像力はどこか繋がっている」という話も面白かった。
■ Listening:『アフター6ジャンクション』
- ムービーウォッチメン:『偶然と想像』
それぞれの話の構成が、[導入]ー[メイン]ー[オチ]になっており、[導入]と[オチ]ではリアルな会話が、[メイン]では現実から浮遊したある意味芝居がかった会話がなされているというガイドになるほどと思った。
人物同士の距離や向き、ズームに着目してもう一度観てみたくなった。
(2022.01.11)