ブルシット・ジョブの謎 酒井隆史著を読んでみた
サラリーマンの職場環境で、クソどうでもいい仕事に腹が立つことは多い。
そんなクソどうでもいい仕事 ブルシットジョブってなんだろうと思い本書を手に取った。
もっときっちり知りたい人は
原書 ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論 デヴィッド・グレーバー
の方がいいかもしれない。
しかしその展開は、
資本主義の行き過ぎや資本主義への疑問
資本主義における資産配分
見せかけのための仕事
官僚的手続きのための仕事
ベーシックインカムやコミュニズムという近未来
かなり多岐に渡り読み応えのある、盛りだくさんだった。
ネタバレも大いに含むが、独断と偏見の読書感想文を書いてみた。
まずは 私の独断と偏見の結論から
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行きすぎた資本主義で分配がうまくいかず、格差や資源の枯渇がおこっており持続可能ではない。
今まで分配の中で、
とりつくろったり、見栄えをよくしたり、手段が目的となったり、行き過ぎた官僚的な仕事といった「ブルシットジョブ」
が全体の仕事の半分以上になってしまった。
持続可能な世の中にするために、
近未来に出てきそうなベーシックインカムや新自由主義、コミュニズムなどで
自然とブルシットジョブは減るだろう。
自分の生活でも、
労働そのものが尊いという考え方を改め、
自由時間を確保し、生産的で充足された生活をおくろう。
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順に、説明していこう。
いきすぎた資本主義
資本主義とは、封建制度や、不動産賃貸業や、レンタル業のようなものだ。
土地を貸して、土地(レンタル)代をあつめ、余剰金を分配する。
今、この余剰金の分配の過程で、ブルシットジョブがうまれている。
現代の封建制度は、会社などの組織が行なっているが、
その会社内で行われている仕事の多くがブルシットジョブなのだ。
ブルシットジョブとは
完璧に無意味で、不必要で、有替えでさえある雇用形態をうみだす仕事のことで、大きく、5種類あるという。
①取り巻きや腰巾着がおべっかでつくりだす仕事
重要な人物だと言う気分のための仕事
②おどし、ハッタリの仕事
ヒエラルキーのためのヒエラルキーを維持するような仕事
需要を人工的に作り出すような仕事
③尻拭い
普段から、長期的に持続可能なシステムのための維持改善を行なっていないがために、場当たり的にダクトテープを張って補修するような仕事
④官僚仕事
チェックのためのチェック
行き過ぎた数字評価(評価基準)
ペーパーワーク(書類の見栄え)
行き過ぎた官僚制度(忖度 服従 統制 規制 ルール)のための仕事
手段が目的になっているような仕事
何を言っているのかではなく誰が言っているのかが大切な会議
⑤いらない中間マネージャーの増設
④の官僚仕事をたくさん生産するためのマネージャー設置
管理のための管理、上司のための忖度などをする仕事
ブルシットジョブは全ての仕事の37%がブルシットジョブらしい。
さらに、ブルシットジョブをしている人のピザを用意するという2次的な物も含めれば60%を超える。
エッセンシャルワーク
ブルシットジョブの対極にあるのが、エッセンシャルワークだ。
料理、運転、変化を与える企画、保育などだ。
エッセンシャルワークとブルシットジョブと言ったら、
エッセンシャルワークの方が大切だから、賃金も高い気がする。
しかし驚くべきことに、ブルシットジョブであればあるほど賃金が高いという反比例になっているという。
つまり、高給とりはみんなブルシットジョブをかなりやっているということだし、世の中のためになるエッセンシャルワーカーは薄給ということになる。
資本主義と労働時間
資本主義は実は200年ぐらいしか機能していない
資本主義になって、時間を買う(労働者を雇う)という考えが普通になった。
この時間思考では、買われた時間を買った側が自由に使えるということだ。
時間内は、自由がない反面、成果を出さない、役に立たない仕事でも、
指示されたプロセスをこなして、時間さえ過ごせばいいというブルシットジョブが生まれている。
実は以前は、
時間的思考ではなく、課題がなくなったらいいというタスク思考だったという。
タスク思考では、時間いっぱい働かなくてもいいし、暇潰しをしなくてもいいので、あとはぼーっとしていたり自由だった。
成果を出せば、あとは時間を自由に使っていいのだ
成果を出すための時間の使い方も、近年少しおかしくなってきている。
本来、集中して成果が出る仕事のやり方というのは、
短期的に集中して取り組み成果をだすことと、そのあと怠惰に過ごすということの繰り返しだという。
タスク思考では、なんの迷いもなく短期集中型の時間の使い方をして成果につなげることができる。
しかし、行き過ぎた時間思考の中では、怠惰に過ごすタバコ一服の5分がとがめられたりする。
また怠惰と集中のバランスも含めて、以前の柔軟な労働環境の中では、各労働者や現場にみずからの才覚と裁量を発揮できる余地があった。
しかし、いきすぎた労働環境のもとでは、官僚的なプロセス管理によりその余地も奪われている。
つまりその裁量が奪われることで、やる気は削がれ、成果もあがらず、ただ指示通りに時間をブルシットジョブのために過ごせばいいという風潮になっている。
また、資本主義では、最初無から有をつくり出すことに価値をおきすぎている。
もっとライフサイクルコストを考える必要があるのだ。
例えば、資本主義的には、コップはいくらですかといったら、つくった時のコストや販売コストだけで考える。
しかし、そのコップが世の中の役に立つために、何度も何度も洗って使われている。そういった維持管理コストの方が実は何倍も大きい。
それも含めて、コップが世の中のためになるコストを考えなければいけない。
この構造が、エッセンシャルワーカーの賃金が低いことにつながっている。
労働のとらえ方
今まで割と常識的に、キリスト教をベースとした社会に由来し、
労働は罪
労働をすることは尊い行為
労働をすることそのものに価値がある
と考えられている。
だから、役に立たない労働でもやることは尊いのだという
暇つぶし的ブルシットジョブが生まれている。
それに反して、1960年代にこの常識をうちやぶったのがヒッピーブームだ。
ヒッピーたちは怠惰なイメージがあるが、実はそうばかりではない。
自由時間を確保した、充足的で生産的な人たちなのだ。
労働中心に考えるのではなく、自分の時間中心に考える。
そんな人たちだ。
私は、ヒッピーの生き方に、資本主義後の近未来の生き方のヒントがあると感じた。
そして、新自由主義や、新社会主義、ベーシックインカムの流れが、
自由時間を確保した、充足的で生産的な人たち
をつくりだすかもしれない。
ひと月7万円もらうことで、
労働ってやらなきゃいけないと思ってたけど、ずっとしなくても必要なだけすればいいんじゃない?と考える人たちがでてくるのだ。
会社にどっぷり所属せず、必要なだけ働く。
自分の才覚を利用して裁量を発揮できるエッセンシャルワークやボランティアで自己実現する。
考えてみれば年金生活の人がちょうどそんな感じに過ごしている。
ベーシックインカムで、そんな流れが出てくるといいと思っている。
100年前にケインズだか誰かは、労働は1日3時間 週4日でよくなるといってたという。
私がサラリーマン的な仕事場で感じるものと、体感的に合致している。
ベーシックインカムなどを活用し、役に立ち自己を発揮できる場所で週12時間働きながら、充足的で生産的な豊かな生活を送っていきたい。
せっかく時間ができても、下手なストリートミュージシャンや、パントマイマー、ヘンテコな発明家になって社会の迷惑にならないように、
今から素敵な生き方を準備しよう!!
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