くちびるがはれるほど。
唇が荒れまくっている。
荒れすぎて、なんならちょっと腫れている。
特に激辛料理を食べた訳でもないし、原因はまるで思い当たる節がない。
唇が腫れれば腫れるほど、思い出してしまうこと。
はい、そうですね。
「硝子の少年」
(KinKi Kids/1997年)ですね。
アラフォーがほざいてるわぁと呆れず、まぁ聞いてください。
言わずと知れた名曲ですが
唇が腫れるといえば、2番のAメロのこの歌詞。
改めて歌詞を一読してみると「くちびるがはれるほど」は全部ひらがななんですね。
オールひらがなという丸みが、ぷっくり腫れた唇を思わせますよね。こういう細部が松本隆先生なんですよね。きっと。
わたしが初めて親に買ってもらったCD(当時はまだ縦長の小さいシングル)がこの曲だったのですが、実はその当時から漠然と抱えていた疑問。
この「くちびるがはれるほど」という形容は、
直前の「キス」にかかっているのか?
それとも直後の「囁きあう」にかかっているのか?
仮に文法的には後ろの「囁きあった」にかかっている可能性が高いとして、
「くちびるがはれるほど」の囁きはもはや囁きの域を超えているんじゃないか?
上映内容やお客さんの入り具合にもよるけれど、映画館でそれはかなりご迷惑おかけしてしまってるんじゃないかと心配(勝手に)。
そもそもひとはどんなに愛しあっていたとて、「くちびるがはれるほど」囁きあうことは可能なのだろうか?
でも、映画館で席に並んで座って映画そっちのけで囁きあえる関係って、なんていうか…エロいよねぇ。そういうの羨ましいよねぇ。
…というしょうもない話、というか特に答えもない話ではありつつも、こういうどうしようもないことを考察する時間が個人的にはたまらなく好きだったりする。
(※上記考察はあくまで個人の意見です)
正解のないことを考えられる時間が与えられている幸せ。
たぶん、もっと感謝すべきなんだと思う。
感謝。
さぁて、
「硝子の少年」聴きながら
腫れた唇にお薬塗ろうっと。