ボクは、世捨て人になりたい
古代インドの識者が進んだ人生のカタチ、それが「四住期」。話せば長く、みなさんきっと飽きちゃうので、めちゃ簡単に書きますね…そういや前にもこんなん書いたかも…
第一の「学生期」。これは若い頃に知識や経験を学び、教えを得ることで先の人生に役立つスキルを身につける時期です。
第二の「家住期」。これは社会人として、一家の長として家庭を成し仕事に励む時期です。
そして第三の「林住期」。古代インド社会では50歳を過ぎれば社会や家庭での役割を終え、修行や瞑想に励むことで自らと向き合い時期だとされています。現代社会にはそっくり抜け落ちてますね…しょーもないオッサンが巷に溢れ、問題ばかり起こす理由が分かるってモンです…
最後の第四が「遊行期」。70歳を越え、人生の終焉を迎えるに当たっての備えをして行く時期になります。いわば「我が人生の総決算」、そう思えばその辺のショーもない爺さんも襟を正していなくなるでしょうね…
てなワケで現代社会に巣くう課題の一つが見えてきます。キレイ好きで公明正大な社会を築きあげつつあるわが国日本ではありますが、こんなに便利で融通が利くようになった反面、精神世界の融通さでは古代インドの方々に到底勝てる気がしません。「スマホ片手に真理も悟りも開けるものか…」お釈迦様もさぞお嘆きでしょう。
人類がその歴史の上で長きにわたって苦しんだ「飢餓」、「争い」、そして「疫病」。現代ではほぼ凌駕しつくした課題ではあります(ウクライナとか、北朝鮮とか、アフリカ諸国とか、一部地域は除きます。)。コロナもなんとかかんとか、でしたし、いまや貧困よりも糖尿病や肥満で多くの方が亡くなる時代になりました。
で、その先に豊かな未来があるかと言われると…芥川龍之介が著作で遺したような「黒洞々たる夜」が広がっているだけのような気がします。
多くの方々には理解も同意もして頂けないでしょうが、せめて言葉を大切にするここの住人の方々には飲んだくれオジさんが叫ぶ「一片の氷心」としてご理解頂ければ幸いです。モノが溢れて豊かになったこの社会、ココロが貧しいとあちらこちらで叫び声があがってるのが問題なように思います。って解決策はまだ見えてません…スイマセン。
記事を読んで頂けた。それだけで十分です。
ココロの貧しさに立ち向かう。そういう目標が、見えたように思います。
春に宵、 時過ぎ去るも いとわしき
花、散りぬるぞ 愛おしき
花、散りぬれば 実をなさん
想いよ何処、如何にか成さん
我が世よ何処、如何にか成さんと
世を捨てみれば 何を見ん
生きた証ぞ 何をせん
(イラスト ふうちゃんさん)