永遠の重湯 神聖かまってちゃん
年が明けてから音楽が聴けない。この感覚が他の人にもあるのかどうか分からないが、音楽を聴いて歌詞を咀嚼する元気と気力がない。歌詞にあるメッセージ性をとにかく受け取りたくないほど心が過敏になっているともいえる。クラシックとかゲームミュージックなど、歌詞のない音楽は聴ける。
そんな中で唯一聴けるのが「神聖かまってちゃん」である。
神聖かまってちゃんに人はどのようなイメージを抱いているだろうか?中居くんの音楽番組で炎上したバンド?頭がおかしいバンド?ニコニコ動画?ツイキャス?フロントメモリー?それとも最近だったら進撃の巨人の主題歌だろうか。
正直、みんなの前で「好き」と胸を張っていいにくいバンドかもしれない。神聖かまってちゃん好きな奴はやばい奴ばっかり、というイメージを持っている人も恐らくいるだろう。しかし音楽に限らず、そういった好き嫌いがはっきり分かれるカルチャーほど誰かの圧倒的な光であったり、受け皿になっているのは間違いない。自分も彼らの音楽や活動に救われた経験が多々あるし、どんな精神状態でも聴ける音楽というのは後にも先にも彼らだけだと思う。
音楽性の高さについては、ズブの素人なので触れないでおく。しかし音楽的な知識が一切ない自分でも進撃の巨人のOPである「僕の戦争」を聴いた時はボーカルであり作詞作曲を担当するの子はえげつないくらいの能力を持っているんだなと思った。
彼らの音楽の魅力は、何と言っても歌詞だと思っている。
の子自身、精神的な病を長年患っていてすごく元気な時とそうではない時が激しい。日々配信しているツイキャスでは、その情緒をありのままに話している。ちょっとテンションが高すぎるぐらい元気な日もあれば、大量に酒を飲みながら泣き叫んでいる日もある。(一昔前に比べれば今はだいぶ安定していると思うが)そのような日々を過ごしている彼にしか書けない愚直で飾らなくて、言いたいことをまっすぐに伝える歌詞がある。
この「僕は頑張るよっ」は2011年発表の曲だが、12年経った今でも色褪せない名曲である。とにかく歌詞のひとつひとつのパンチが重い。散歩しながら聴くような明るく前向きな曲調にミスマッチなぐらい本質を突いた歌詞である。「みんな死ぬよ あっさり死ぬよ 僕は頑張るよっ Yeah!」で終わるこの曲に、自分はかなりの衝撃を受けたと同時に''人はあっさり死ぬ''という言葉は一種の安心材料にも思えた。この曲を聴いた当時の自分は人生の深い谷底にいて、できることなら明日にでも居なくなりたいと考えているような時期だった。「人は絶対にいつか死ぬ、あっさり死ぬ」という言葉を聞いて、自分は今わざわざ死ななくてもいつか絶対に死ぬのか、そうかと思った。それならもうちょっとズルズル死を先延ばしにしてみるか、どうせあっさり死ぬのだからと。それから5年か6年、未だに生きている。
「さわやかな朝」も超がつく名曲だと思っている。自分がどんな状態でも、どんな心持ちだったとしても朝は必ず来る。朝の光というのはさわやかで、そのさわやかさが今の自分と対比して憎たらしく思える時がある。しかしそんな朝を皮切りに一日がスタートしてしまえば変わらない日常があって、何だかんだごまかして生きていく。そしてまた次の朝がやってくるのである。
他にも「まいちゃん全部ゆめ」や「おはよう」であったり、大好きな曲がたくさんあってキリがない。刺さらない人には刺さらないし、一生共感できない人には一生共感できない。しかし一部の人間は彼らの歌を「これは自分の歌だ」と感じ、長年に渡って愛し続けているのである。
人に言っても理解されない悲しみや苦しみだったり、そういった感情を彼らの音楽を通して昇華させているファンがたくさんいる。
神聖かまってちゃんが今も変わらずに存在し続けていることに感謝である。15周年おめでとうございます。