240711 結婚とは他
結婚はタイミング
某議員が、昨年、婚活事業を打ち切ったというニュースを見た。多様性に配慮してとのことであるが、私自身は婚活事業が自分の住んでいる街で実施されていれば絶対使ってたなと思うので、(あくまで私個人としては)良いニュースとは思えなかった。
結婚はタイミングとよく言うが、これを最近改めて実感している。
周りの結婚しそうな人、結婚した人を見ていると、結婚したいこのタイミングで会えたこと自体が結婚の決め手だった、という人が多い気がする。
事実として、自分も同様である。相手も自分も、結婚願望はあるけれどなかなかいい出会いがないなと思っているときにちょうど出会ったというだけの話である。自分は結婚してくれてありがとうだが、向こうからするとこの辺で妥協しておくかという感覚だったかもしれない(それでも良いが)。
前も書いたが、仮に自分と今の妻が同じ大学の先輩後輩だったとしたら、まず結婚していないだろう。選択肢が無限大の時期にあえて私を選ぶ人間が居るとは思えない。したがって、若いうちから距離が近いことが必ずしも良い結果に結びつくとは限らない。そういう意味では、それなりに歳を取ってから出会ったのは結果的には良かったと思っている。
後輩が自分を超えていく
後輩が業界の大きな賞を受賞した。心から祝福したい。
その後輩は性格が良く、穏やかで、どこでも重宝される人材であった。私に対しては、どうすればあなたのように良い発表ができますかと直球で聞いてくるような真っすぐさを見せていた。
そんな後輩が私が取ったことのない賞を受賞したという事で、完璧に自分を超えたな、と感じた。というか、こういう賞レースに参加すること自体が素晴らしいことだ。
私自身はこういった賞レースから逃げ続けてきた。学生時代に取った賞は卒論賞と修論賞といった内輪の賞くらいで、その他は何もない。社会人になってもゼロだ。
自分自身ではプレゼンにそれなりの自信があったものだが、学会でも賞をもらったことは無い(要するに、自分で思っているほど大した発表ではないという事である)。
自分は過去にこんな賞を取ったんだ、と心の中で反芻して自分の自信にする、というのは良い事だ。こういった心の支えが自分に一切無いのは、改めて考えると寂しい感じはする。しかし、だからといって積極的に賞レースに参加しようとも思えない。基本的に自分はダメ人間なのだ。
そのような自分を知ってか知らずか、建築士の受験に関していつもいつも尻を叩いてきた上司には今は感謝している。建築士試験の辛さでやってられるかと愚痴っていた時期もあったが…。こいつにはせめて資格くらいは持たせてやらないとダメだ、と思ったのかもしれない。