241226_令和2年(2020年)一級建築士製図試験に惨敗した話

はじめに

  • 私にとって、一級建築士ほど苦労した試験はない。

  • 大学受験も苦労するにはしたが、「働きながら何年も行う受験勉強」と「勉強が本分である身分で行う受験勉強」は全くの別物である。私自身は前者の方が遥かに苦痛だった。

  • 今回は自分自身の備忘録も込めて、一級建築士試験の苦しみを残しておこうと思う。

勉強のきっかけ

  • 私は建築系の会社に勤めているが、「設計」でも「監理」でもないため、原則として「一級建築士」資格は必要ない。

  • また、私の会社は一級建築士を持っているからと言って、給料はほとんど上がらない(死ぬまで働いても、資格学校に支払うレベルの塾代は全くペイできない)。合格祝い金は支給されるが、数万円程度である。

  • 当然のことながら、会社の勉強支援は一切ない。本当にただの「自己啓発」でしかなく、チャレンジのコストパフォーマンスは悪い。

  • そのような理由から、私は20代の間、建築士の勉強はしてこなかったし、する気もなかった。建築士が必要ない業務内容で良かった~と考えていた。

  • しかし、30代になるとともに、上司からの「一級建築士をいつとるんだ」という圧が厳しくなってきた(上司は一級建築士も技術士も博士も持っているスーパーマンだ)。また、尊敬する先輩からも「君もそろそろ…」とやんわり諭されるようになってきた。

  • 理由は至極真っ当なものだった。業務で一級建築士の資格を使わないとはいえ、これから社外の人間ともやり取りをしていく中で、今のままでは舐められてしまう。また、今後の出世を考えると、やはり資格のあるなしが響いてこないとは限らない。何より、今の会社に死ぬまでいるとは限らないのだから、自分自身のために、若いうちに資格を取っておくべき。

  • これは上司、先輩の親心もあったと感じる。自分は自分に甘い人間なので、こうして圧をかけてもらわないと本当に動けないのだ。これは学生時代からそうだったし、当時の担当教授にも見透かされていた。

  • 加えて、当たり前だが、友人知人親族の「建築職なんだったら一級建築士持ってるの?」という何気ない一言も刺さるようになってきた。そんな簡単に取れるもんじゃないんですよ~~~運転免許じゃないんだから~~~

  • このような歳を重ねることによる環境の変化に抗えず、一級建築士試験にチャレンジする形となった。我ながら、消極的な理由で呆れてしまう。

資格学校選び

  • まずは学科試験勉強からスタートである。学科試験については独学による勉強方法が巷には溢れているため、安く抑えることができる部分ではある。

  • しかし、私は一切迷わずに資格学校に行くことを決めた。理由は単純で、わざわざ独学必勝法とか、おすすめ参考書とか、そういうのを検討するのが面倒くさいし、勉強ペースを自分で考えたくもなかったからだ。

  • 資格学校のいいところは、お金さえ払えば「どのような勉強を」「どの教材で」「どのタイミングで」やれば良いか手取り足取り指図してくれる点だ。もちろんこれがむしろ嫌だという方が居るのは承知しているが、私は一から十まで何をやるか全部決めてくれる方が楽で良いと感じた。

  • ※当然であるが、指図は受けつつも、自分自身で必要が無いと思ったことはやらないし、逆に必要と感じたことは積極的にやることとした。

  • 資格学校は、私の住んでいる近くでは様々な選択肢があった。ただし、全て対面授業なのは総合資格(通称、S)のみだったため、迷わず総合資格とした。ビデオによる講義は絶対にサボる自信があった。

  • 授業料は、学科試験対策+製図試験(短期)対策のセットで150万程度であった。大きい出費だったが、独身であり、車も家も持っていなかったので、何とか貯金で賄うことができた。

総合資格に通学ー学科試験編ー

  • 通学は2019年の10月からスタートした。毎週日曜日は総合資格に缶詰となり勉強をする日々がはじまった。

  • 建築士は全5科目あるわけだが、総合資格では、毎週、いずれか1科目の講義が開催される。例えば、今週は計画、来週は構造、再来週は施工…のような具合だ。そして、毎週いくつかの単元を講義+テストの形で学び、家に帰ったら与えられたその単元に該当する過去問を解きまくるという流れである。これを試験日まで繰り返すと、自然と全ての科目全ての単元が頭に入っているという形になる。言い換えると、このカリキュラムの流れに適切に乗っていくことができれば合格するということである。

  • 講義の内容はとても分かりやすく、大金を取るだけあるなと感じた。特に、イメージしにくい施工科目の講師が良く、毎回現場の面白い話や、ゴロ合わせによる数字の暗記方法を披露してくれたので助かった。

  • とにかく、どの講師もテキストの内容をこれでもかとかみ砕いて解説してくれる。毎週日曜日を潰して通うのは大変だったが、一方で、毎週着実に知識を積み上げていく実感があり、楽しさもあった。

  • また、毎週、前週学んだ事項の小テストがあった。この小テストは点数が教室に貼りだされるというシステムだったのだが、これが私にはとても良かった。私は自分に甘いくせに負けず嫌いなところがあったので、絶対に上位5人に入ってやろうと毎週復習は欠かさずやり、上位に食い込むべく努力した。(ただ、このシステムは一部の受講生には不評で、途中から貼り出しはなくなってしまった。残念。)

  • とはいえ、順風満帆ではなかった。いくら講義が素晴らしくても、勉強範囲が尋常ではないことに変わりはない。講義で理屈は完全に理解できたとしても、暗記すべき事項は鬼のようにある。私の場合、特に建築史や建築作品が苦手で、泣きながらWikipediaとテキストと問題を行き来した。

  • 年末年始は家から出ず実家にも戻らずひたすら勉強を続けたし、GWだって同じだ。この間、正直なところ勉強以外の記憶が欠落している。それほどまで自分を追い込んだ。

  • そんな中、コロナ禍になった。試験が開催されるかどうかさえ怪しくなったが、迷わず勉強を続けた。コロナ禍によって自分の大好きなコンテンツのイベントや即売会がことごとく中止になってしまい心を痛めたが、あくまで私自身の状況に鑑みると、むしろこのタイミングに娯楽が何もかも無くなるのは追い風だとも感じた。

  • ここまで勉強してコロナに疾患したらどうしようかという不安は常にあり、相当なストレスではあったものの、幸いそのようなことはなく試験日を迎えた。

  • あまりにも根を詰めて勉強をしすぎたせいで、もしできなかったらどうしようという不安に押しつぶされそうになり、前日は全く寝ることができなかった。徹夜状態で精神状態もフラフラのまま試験会場に向かった。

  • 辛い中での試験となったが、これがマイナスに働いた感じはなく、実力通りに問題は解くことができ、手応えは強かった。

  • そのようなわけで、結果的に学科試験は9割程度得点し合格した。

  • あまりにも嬉しくて、自分、やればできるじゃん!と謎の全能感に包まれた。

  • 「これで製図に進める!」「製図の道具買うの楽しいなあ!」「早く製図の講義が始まらないかな!」「製図は3割も合格できる!行けるんちゃう!?」もはや一級建築士になったも同然だと考えていた。

  • しかし、この心は製図試験対策を開始して1週間で砕けることになる。この資格試験、学科試験は前哨戦に過ぎないのである。

総合資格に通学ー製図試験編ー

  • 7月の学科試験後すぐに開講され、10月の試験に臨む通称「製図短期コース」が始まった。

  • 勉強のスタートは、階段等のパーツトレーニングや、コミュニティセンター系の図面のトレースだった。製図版を駆使して図面を引く作業…これだけで楽しく、正直、ウキウキでやっていた。

  • ちなみに、この年はオリンピックの影響があり、製図試験対策にかけられる時間が通常よりも2週間ほど長かった。このような理由で、お題発表前の2週間程度は作図スピードの強化に特化した講義が続いた。

  • そして試験元からの運命のお題発表…内容は…「高齢者介護施設」!

  • 申し訳ないのだが、テンション、上がらんな~と感じた。前年が「美術館の分館」という、まさに設計製図!というお題だったのに対し、今年の地味さといったらない。(もちろん、高齢者介護施設が超重要な施設であることは百も承知ですよ、私の親だってそろそろお世話になるかもしれない施設だし、いつかは自分もそうなるでしょう。今の日本が置かれた状況に鑑みても、上手い課題設定です。でも、それはそれとして、学生以来久々にやる設計製図だったら、なんかこう、キラキラしたお題をやりたいと思うのは罪でしょうか!?リゾートホテルとか道の駅とか、楽しそうじゃん!?)

  • また、この年から課題発表時に階数が初めて伏せられることとなった。これによって、基準階タイプとゾーニングタイプ両方を勉強する必要が出てきてしまった。当時は両者の違いが分かっていなかったので大変さは理解していなかったが…

  • そして課題発表後の第一回講義。基準階タイプのエスキスの仕方を学んだ。

  • ……?

  • …………?

  • 驚くべきことに、エスキスの手順が全く理解できなかった。

  • なんでいきなり基準階の1/400エスキスがスタートするの?I型?ツインコリダー?L型?どれを選んだらいいの?選ぶカギは何?1/1000のエスキスって何の意味があるんですか?この作業でどうしてスパンが決められるんですか?そもそもゾーニングって何?管理部門って何?階段とエレベーターって隣接してなくてもいいの?基準階ってどこに乗っければいいの?駐車場ってどうやって設計するの?車のらないので意味不明ですが?廊下を始めにまっすぐ通すと部屋が全く入らないんですけど何が間違ってるんですか?なんでレストランを交差点に置くんですか?なんで解答例は階段をここに置いてるんですか?なぜ僕は管理部門を東に置いたら怒られたんでしょうか?

  • なんか毎週こんな感じだった。もはや自分が何が分からないのかさえ分からない。講師は「こういう時は、こう!」と回答に合わせた解説はしてくれるものの、毎回言う事が変わるので、全く腑に落ちなかった。

  • また、この講師は「朝練」と称し、朝の8時(講義開始の1時間前)から教室に来てトレーニングをすることをクラス全体に強要した。このトレーニング、別に講師が何か教えるということではなく、単純に自習のために早く来いというだけのものだ。しかし、誰もが忙しい身である。そんな目的のないことのために1時間も早くきて何の意味があるのか。そのような不合理も相まって、私はどんどん当初の「製図のウキウキ感」が無くなっていった。多分、私とこの講師はあまり相性がよくなかったのかもしれない。出来の悪い生徒で申し訳ないという気持ちも当然ある。

  • 本格的に製図の講義が始まり、3週間程度で完全に教室内の序列は決まっていた。もちろん、私は最下位グループだ。

  • エスキスも作図も、時間内に終わったことはほとんどなかった。あまりにもできなさすぎて、毎週恥ずかしくてたまらなかったし、講師のあきれ顔も見慣れたものである。

  • 毎週、帰りの電車では「なんでこんな一生懸命やってるんだっけ…」と心が沈みっぱなしだった。

  • 模擬試験が2回あったが、全部ランクⅣだった。というか、ランクⅠは一回も取れていないと思う。

  • それでも…!と、最終週は何とか合格をもぎ取るため思い切って会社を4日休み、がむしゃらにエスキスを続けた。「まあダメだろうな」という気持ちは常に浮かんでいたが、悔いが無いようにやり遂げようとした。

令和2年製図本試験

  • そして迎えた製図本試験。

  • 試験会場に早めに行き、エスキスノートを見返す。「こう来たら、こう!」を頭の中で繰り返す。

  • 問題文が配られ、目を通す…なんか文字、多くない!?と課題文に圧倒される。

  • そして目に入る「ユニット」の文字。そして「3階建て」。実はこの年、総合資格は「ユニット」タイプの課題を通常講義でほとんどやっておらず、平成27年のような基準階ばっかりやっていたのだ。

  • ユニットタイプをやっていたのは、専ら課金して受けることができる特別講義のみ。通常講義でさえついていけていなかった自分は、特別講義の内容まで完全カバーするには至っておらず、恥ずかしながらこの時点で負け戦感を感じざるを得なかった。

  • そして課題文を読むも、緊張と混乱からとにかく目が滑る。全く頭に入ってこない。エスキスの手順さえ思い出せなくなる。

  • 心落ち着かせた後も、全く上手くエスキスできない。資格学校で習った方法で全然解けない。問題の自由度が高く、何をどうすれば良いのかとっかかりが全く無いのだ。

  • なんとか先に進めねばと言う焦りと共に、とにかく要求室を詰め込んだ謎の箱ができた。これが試験元が求めた高齢者介護施設なのか?もはや何を設計しているのかさえ分からなくなっていた。

  • 採光が求められているのは理解していたが、ヘリアキをあけることができなかったので無視して建築したし、廊下幅の指定も無視した。この試験で新たに求められたアラーム弁室も良く分からなかったが、スペースがあったのでとりあえず適当にぶちこんでおいた。

  • 作図はとにかく勢いだけで終わらせた。計画の要点は、手が震えてぐちゃぐちゃの文字になったし、内容は10倍カルピスより薄い。正直、歯が立たなかった。

  • なんとか未完は防げたものの、見直し時間は全く取れずに試験終了。6時間半は一瞬で過ぎ去り、手元には虚無感のみが残った。

  • 解答用紙が回収され、帰ってよし、になってもしばらく机に座って呆然としていた。

  • 1年間がむしゃらに頑張った結果が、これ?

  • 一体私は何のためにこんな苦労を…

  • 総合資格からは、試験後すぐに校舎に戻り再現図面を描くように言われていたが、とてもそのような気持ちにはなれず、担当教務に体調が芳しくないので今日のところは勘弁してほしいと謝罪メールを入れて直帰した。

  • 不思議なことに、虚無感はあったものの、悔しさはなかった。歯が立たなさ過ぎて、そのレベルになかったからだ。大谷翔平とバッティング勝負して負けたからといって悔しいという感情は浮かばないと思う。次元が違うから。それと同じで、次元の違う「できなさ」に打ちひしがれた。これだけ勉強してこれだけ届かないことってあるんだ、と思った。

  • 正直、この試験に受かるビジョンが一ミリも描けなくなった。試験のチャンスはあと2回あるが、もうこんな試験からは足を洗おうと感じた。こんな屈辱、もう味わいたくない。

  • その後、再現図面を家で描き、これをもって採点会に臨んだ。担当講師からは、まあダメだろうねというコメントを頂戴した。完全に同意である。

  • 講師からは、要約すると「君はできなさすぎるから、来年も受けるなら長期コース(課題発表前の3月から始まるコース)に通って一から学び直した方が良い」と言われた。これも完全に同意だった。

  • 長期コースに通うための申し込みまで時間があったので、とりあえず悩むことにした。この試験にまたチャレンジするのか、もうやめるのか。

  • 合格発表はクリスマスだった。一ミリも期待しないつもりだったが、2か月という時間が「いや、でも、ワンチャンあるかもよ?」という淡い期待を抱かせるに至った。まあ、落ちていたのだが。

  • ランクはⅣだった。心当たりがありすぎてどうでもよかった。

おわりに

  • 以上が、2019年(令和2年)の私の製図試験の惨敗記録である。

  • 結局、次の年に再チャレンジすることになる。これの詳細はまた別の機会に記述できればと思う。



いいなと思ったら応援しよう!