「自分」を奪われる戦争
久々にテレビを見ました。
友人の家で見たのですが、相変わらず戦争プロパガンダさながらにあらゆるチャンネルでウクライナ危機と感染症を演出し、視聴者を洗脳しているようです。
どのチャンネルにも共通しているのはロシア=悪、ウクライナ市民がロシア軍に蹂躙されているという印象のみを視聴者に与えている点です。
ウクライナ危機がどのように発生したのかといったその経緯や背景には一切言及せず、ただ根拠に乏しい印象操作のみで視聴者の心情に訴えかけるのです。
これを見た単純な視聴者は「ウクライナ人がひどい目に遭っているのに私は何もしないでもいいのか」などと考え出すことでしょう。
多くの国民を、このような心情にさせることで、改憲がしやすくなるのです。
早晩、広告代理店の改憲マーケティングが凄まじい勢いで開始するでしょう。
当然その広告代理店に支払う代金は税金から支出されます。
「家族を守るための変化を」
「未来へ進むための一歩」
「あなたを守るものはなんですか?」
「今こそ立ち上がるときだ!」
「改憲!GO!」
このようなフレーズが多用され、改憲することは正しいことという印象操作、マーケティングが行われるはずです。
マスメディアの戦争責任という言葉は死語となりました。
しかし、今回は戦争が終わってもその戦争責任が追求されることはないでしょう。
なぜなら、マスメディアの飼い主がそのような世論を形成させないからです。
マスメディアにしても軍需産業にしても225銘柄やS&P500の銘柄にはバンガードやブラックロック、ステート・ストリートの資金が筆頭株主となれるほどに入っているわけですから、マスメディアがまともな報道を行うことは未来永劫あり得ないのです。
グローバリゼーションが深まり、さらに情報が溢れている現代の人間はより身近なもの、単純なもの、簡単なものを真実と捉えます。
ナチス政権において宣伝大臣だったヨーゼフ・ゲッベルスの言葉にこのようなものがあります。
「大衆は、最も慣れ親しんでいる情報を”真実”と呼ぶのである」
現代ほど情報が溢れていなかった当時ですらそうですから、現代人はさらにこの傾向が強化されている可能性があります。
マスメディアで扱われなければその事実は存在しないものとして扱われます。
この戦争が何を目的に行われるのか、改憲が何のために行われるのか、それらの情報はすべて陰謀論として都市伝説として消化されてしまうのです。
脳に人工知能を埋め込み、政府が大衆の思考を監視し、自分の行動が体制にコントロールされる世の中がやってくると言ったり、特許が取られている電磁波兵器や地震兵器、気象改変装置の存在を伝えてもそれは、「考え過ぎ」、「陰謀論乙」などと言われてしまうでしょう。
完全管理体制、超監視社会が到来したときに、民主主義は誕生から一度も成立しないまま終焉を迎えます。
私達はそうなったときに一体何を見て、何を思って生きていくのでしょうか。
食べて、寝て、遊べればそれで良いという人も多いのかもしれません。
しかし、それが叶えられても幸せにはなれないように人の心は出来ています。
人の心は自分に嘘をつくことをストレスにしてしまうので、いくらストレスなく生きていると思っても、とてつもない空虚感が襲ってくるでしょう。
自分だけの安らぎに飼い慣らされ、家畜さながらに生きるツケというもの払う時がくるのです。
臆病で自意識過剰な日本の羊たちはこの暑さの中でも、「周りがマスクをしているから外せない」と人のせいにし、自分の首を締め続けています。
以前にも言いましたが、日本人は半永久的にマスクをつけ常時素顔の人間は、2,3割程度になると思われます。
素顔でいるには強固な決意をもつ必要があるのです。
「空気を読む」という日本社会の掟は、日本社会を奈落の底に突き落とします。
多くの大人が空気を読んだ挙げ句、今のこのクソみたいな社会が形成され、クソつまらねぇ大人ばかりになり、クソみたいな教育で子どもを犠牲にしてきました。
そんなクソな大人が勝ち組として聖者みたいなツラしてメディアに登場してくるとなんとも言えない焦燥感と虚しさに襲われます。
先日、読者の方からこんなメールを貰いました。
その方は大学生の方で、政治経済、日本社会、それを取り巻く世界のことに興味があるようで私のブログを長年に渡って読んでくれていたようでした。
その方のお父上に私のブログを読んでもらったところ、「負け組のブログだな」と言われたそうです。
その方は、とても悔しかったと言っておられました。
私はこのメールを読んでこのように思いました。
「俺はそういうのと闘っているんだな」
と。勝ち組負け組なんて言葉は小泉政権から使われるようになった言葉で、この言葉には自己責任論である新自由主義的な意味合いを含んでいます。
勝ち組も負け組もそんなものはありません。
あえて言えば、全員負け組です。
年収が人より多くてもどんぐりの背比べで、もっと言えば奴隷の鎖自慢に過ぎません。
もっとも大事なことは自分自身を生きているかどうかです。
他者を社会が与えた定規で測っても、何の意味もありません。
自分以外に自分はいないということの素晴らしさ、尊さをもっと認めてもいいんじゃないかと思います。
偏屈な自己愛にならなければいいだけです。
これから食糧危機が演出されます。
意図的に起こされます。大東亜戦争時、食料がなかったとよく言われますが、エリートはたらふく食っていましたからあるところにはあります。
弱い私達がそのような企みに対抗するには高貴な心が必要です。
そのときに助け合い、分け合える心と、強き者に対してふざけるなと言える「勇気」です。
備蓄をして独り占めするのも、買い占めをしてしまうのも、本質は同じです。
ひとりでは生きていけません。
あなたのお似合いの自分を見つけてほしいと切に願います。
「この世で一番大切なことは、どうしたら自分が自分のものになりきれるかを知ることだ。」
ーミシェル・ド・モンテーニュ
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