思いやりという隷属、隷属という自由
「大切な人を守るため」、「他人に感染さないために」このようなキャッチコピーが用いられ、自治体や政府はワクチン接種を推進しています。
しかし、その実態は一般人が無料で「治験」の検体として利用される役割、あるいは「間引きされるための」役割しかありません。
有効率95%、重症化を防ぐといった医療従事者やマスメディアが流布した風説は、現実から乖離し、まるで詐欺師=医師といった印象まで抱かれる始末です。
マスクの弊害は証明されているのにもかかわらず、有効性が不明なマスクを「感染対策」というお題目で常時着用し、非着用者を排除しようとする、この国の大衆のバカさ加減には支配層に対する怒りと同じぐらいに辟易します。
これほどあからさまに超監視社会を作り上げるために企図されたウイルス騒ぎを、恐怖のウイルスとして認識しているわけですからもはや救いようは無いのかもしれません。
私の親戚も圧倒的なコロナ脳になってしまい孫にも会わないという姿勢を貫き、当然私達も会えませんから、次に会うときは親戚が死んだときということになります。
ワクチンも最大回数まで接種し、他人にも接種を強要し、「強制接種になればいいのに」なんて言っているくらいなのでもう付き合うことはできないでしょうね。
このような親族間も分断し、これまでの生活を破壊され、マスク着用、ソーシャルディスタンス、黙食、アルコール禁止などという「刑務所様式」を受け入れさせようとする支配層、またそれを平然と受け入れようとする連中は、実に囚人らしいと言えます。
事実上、現在の社会は戦争状態です。
謎ワクチンによるホロコーストが現実に”今”起こっています。
WHO、厚生労働省は危険な感染症として大衆に印象付けする、一方で存在証明がない、あるものとして対応しているという二枚舌を使い、感染対策を口実に、また大衆の命と引き換えに製薬会社を儲けさせる人外、マフィアのいち機関に過ぎません。
この手先となって表に出ているのが医師という肩書の詐欺師組合です。この謎ワクチンを推奨している詐欺師は、接種後に死んだ1093人の事実は「ないもの」として扱います。
一方、WHO、ファイザー、モデルナ、米ホワイトハウス、米CDC、FDA、日本国家公務員はワクチン接種を強制しないと公表しています。
これが答えと言っても過言ではありません。
私のコミュニティではこんな話もありました。
知人がある茶話会に出席したときに、大学病院の理事長夫人もいたそうで、その人は出席者全員に「例のワクチンは絶対に接種しないように主人も、うちの医師も接種したことにしています。」と言っていたそうです。さらにその人の言葉の端々には庶民をバカにした態度があからさまに出ていたそうです。
知人はショックを受けたようでしたが、医師も所詮は人間ですし、金の亡者も多くいる業界です。
聞いた話ですから真偽はわかりません。とは言え、別に驚く話でもないでしょう。
また、言論人は何やら、総裁選がどうの、タリバンがどうの、米中対立がどうのとどうでもいい話をして大衆を煙に巻き工作員としての仕事をまっとうしているようです。
まず、総裁選も選挙も何も意味をなさないことを理解していない言論人の話など聞くに値しません。
これほどグローバリゼーションが深化し、財界が外資化している上、外資からの政治献金が認められているのに、総裁選で何が変わるというのか、その背景を読者に伝えない時点でその言説は意味をなさないのです。なぜなら、そこに本質があるからです。
タリバン云々の話もそうです。
そもそもタリバンを麻薬と引き換えに資金支援していたのは米国CIAですし、対立するアフガニスタン政府にも軍事介入していたわけですから、よくあるマッチポンプです。
米軍が撤退した背景にはヘロインなどの麻薬利権があります。そんなもの今に始まったことではありません。
単なるスピン報道に過ぎないのです。
その背景に米国と中国が麻薬利権でがっしり手を組んでいるわけですから、米中対立なんてのも無知な人間を騙すためのポーズに過ぎないのです。
現在の最大のイシューは、「ワクチンホロコースト」であり「医療ファシズム」です。
これらは全て、「思いやり」という偽善によって成立します。「思いやり、大切な人を守るため」という意識の下で行われる大衆の活動は、歪んだ正義を生み、それがファシズムに直結、そして感染対策という「真面目さ」は隷属を強化することに直結します。
「他人に感染さないために、迷惑をかけないために」という「思いやり」を実行し続けることによって、自由が奪われることになります。
「思いやり」に隷属した「優しく自由な人間」は、マスクをしない者、ワクチンを打たない者を「異分子」、社会に害悪をもたらす存在として、排除しようとします。
それも全ては、大衆の無知と無思考、権威の虚構や欺瞞によって醸成されています。
その「優しく自由な人間」のためにマスク着用、ソーシャルディスタンス、ワクチン接種、黙食を推奨し、晴れて自由な人間はこの「牢獄と化した社会」に自ら入っていくのです。
書いててあまりの滑稽さに笑えてきますが、これほどの狂気を見ることは人生でもそう度々あるものではないので、ある意味では興味深く観察しています。
とは言え、傍観者を気取ることはもはやできない環境ですし、ひとりでも多くの人にワクチン接種を拒否してもらわなければ誰もが牢獄行きです。
その世界には、”人格的”に限られた自由しか存在していないでしょう。
人が人である理由なんてものは、人の形をしているかどうか、生体識別ができるかどうかといった無機質な概念に成り下がり、誰もが自分の意志など持たずに、誘導された「自由な選択」をしていくことになります。
”彼ら”はきっとこのようなセリフを吐くでしょう。
「隷属とは自由を奪われることではなく、物事に対して寛容になることだ」
詭弁も甚だしいですが、人間としての家畜とは外形ではなく、精神のあり方なのだと思わせてくれます。
そんな世界を歓迎する世の中にも、それを仕掛ける彼らにも、私は中指を立て続けたいと思います。
素敵な一日を。
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