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自己紹介

ある日の朝方、不思議な夢を見た。

突然、暗闇の中から一冊の本が出現した。
それは装飾の施された重々しい本だった。
表紙にはローマ字で、ある文字(『〇×〇×』)が仰々しく書かれてあり、その表紙が目の前に大きくクローズアップされると、やがて消えた。
私は目を覚まし、しばらくその意味を考えていた。
さっぱりわからない。
〇×〇×?
何の事だろう。
しかしそれは、何かの啓示のようだった。

結局、釈然としないまま、何年もの時が過ぎた。それでも、その印象的な夢を、心の片隅で忘れる事はなかった。その意味を、ああ、もしかしたら?と理解したのは、2011年の東北大震災のときだった。

あの、大悲劇が起こった翌日、眠りも浅くさめざめとした朝を迎えると、東の窓辺に、真っ赤な太陽が昇った。
「あんな事が起きたというのに、太陽は何事もなかったように、堂々と昇るんですね」
私がそう、心の中で思ったとき
「変わるのよ!」
という声が、内側のどこかから聞こえてきた。

世界が変わるということに、やっと気づいた瞬間だった。そして10年前の夢の啓示を思い出した。それは、蛹から蝶々へと、変容を遂げる印であったのだと理解した。

私は、それまでに立てていた、あらゆる仕事の計画を全てキャンセルし、白紙にした。10年も前に、夢でちゃんと知らせてくれていたというのに、気づくのが遅いぞ、相変わらずトロいな、ワタシ。とはいえ、それからしばらくの間は、頭が空っぽの状態になっていた。「リセットしなくちゃ!」とは思っても、では、新しく入れるべきOSやソフトとは、何なのか、まるでわからなかったのだ。

あの震災を機に、多くの人々が、さまざまな形で私と似たように、内面の変化や転換を迎えたと聞いている。そして、この変化を告げる鐘というのが、もうずいぶん前から、人類に、あるいはひとり一人に、至る所で鳴らされていたのだということも分ってきた。

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現在、私は、大好きな海辺をぶらりぶらりと散歩して、朝陽を仰ぎ、山々の景色を眺め、ライフワークの研究、制作、書きものなどを、ほどほどにやり、月に2、3度、老いてゆく両親の手伝いに実家を訪ね、、とまあ、ゆったりした日々を過ごさせていただいている。20年の間、Tokyoのど真ん中にいて、キャリアウーマンのフリして暮らしていたので、都会生活が板についていたわけだけど、もはやそこには戻れない。

私が今、夢みていることは、子どもたちのための"創造の場"をつくること。人々が、少しでも楽しく、楽に、この変容を乗り超えられるよう、ささやかなお手伝いをすること。そして自分自身が、真理を探る旅を全うすること。しかし本質的には、私は放浪者。どこへ旅するのかは、自分でもわかりません。

noteに出会って・・・。

半ば忘備録的に、書き留めておきたいことを書く場所を探していたところ、noteさんは、他のブログと違って広告が邪魔しないので読みやすく、マガジン機能も便利そう。

書くからには、多くの人に読んでいただきたいという希望はあるけれど、自分でも呆れるほどマイウェイな性分なので、ああ、結局は、自分らしくやるしかないなぁと、始めたときから、そのあたりは観念しております。そんなワタクシですが、たまたま目に留まってお読み下さったなら、本当に嬉しく思います。

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≪現在クリエイトしているマガジン≫


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