ロシア映画をお勧めするわけ
現在おそらく、ロシアとウクライナで起こっていることについて、西側の情報が、主要メディアでは報道されているのだと思う。(TVを観ないので詳しいことは知らないけれど。)
(この記事は、以下のような文言が警告されるらしい。あまりいい気分ではない。まるで人々を幼稚園児扱いしている。)
しかしこの数年、特に酷くなったメディアの偏向報道に、既に気づいている人たちは、真実はどこにあるんだろう?と疑問を抱いているかもしれない。あるいは、あなたがもし、今の大変動に備えて意識革命の訓練を積んできた人なら、現在のあらゆる世界状況は、起こるべくして起こっていることなんだと捉えているかもしれない。
今、何か大きな変化が起こっていることは間違いがないだろう。親切に警告されなくても、わたしたちは落ち着いて、物事を見極めていかなければならない。(嫌味たっぷりで失礼しますが。)
いずれにしても、こんな時に、ロシア映画をお勧めするなんて、非常識だと思うかもしれない。けれどわたしは、敢えて今だからこそお勧めしようと思う。
わたしは子ども時代から、かなり他人とは違った見方をする人間だった。両親からは”アマノジャク”とよく言われたものだが、もちろん自分の考えはやっぱり間違っていたということもあったし、正解だったということもある。
しかし結果はどちらだろうと、自分の心にフィットしないことは、絶対やらないと、小学生ぐらいの時から心に決めていた。そのため、わたしのアマノジャク性は野放し状態だったので、他人からは、ただの変人にしか映らなかったかもしれない。そういうわたしが勧めるわけだから、まあ、あまり大きな口はたたけない、というのは最初にお伝えしておくことにする。
半年ぐらい前に、YouTubeに無料で配信しているロシアの映画やドラマがあるのを発見した。ちょうど気分転換したい気分だったし、珍しくもあるので、興味本位で観てみようかと思った。そしたら、すっかりハマってしまって、結局、寝不足になりながら、何日にも渡って見続けてしまったのだった。
Epic Media (日本語)
ちょっと残念なのは、日本語の翻訳が酷い。男性の会話が女性言葉になっていたり、意味不明な会話になっていることもしばしばあって、少し観づらい。まあそれは仕方がないと諦めれば、苦笑して見過ごせる範囲だとは思う。それより最初にやや躊躇したのは、このサイトで掲載されているものが、戦争ものやアクションものテーマが多いことだった。若い時と違って最近は、そうした暴力的なシーンや、銃や爆弾や、カーチェイスなどの破壊的爆音が鳴り響く映画は、ほとんど受け付けなくなっているからだ。そのため、最初に選んで観たのは、数少ないヒューマンドラマだった。
ハリウッド映画と比較したら、当然のごとく地味だし、やはり背景には、ソ連時代の名残が随所に残っている会話なども多くあり、独特のムードが漂っている。中には、出来の良くないものもある。いろいろあるのはもちろんだけど、それでも一様に、観た後の、後味が、なかなか良いのである。ハリウッド映画によくあるような、ハッピーエンドでスッキリ!という軽快さとは違う。フランス映画のような小気味よさとも違う。ストーリーは重い内容であったり、暗いテーマも多いのだけど、不思議と後味が悪くない。
なぜだろう?半ばけげんに思いながら、2本、3本と観てしまう。そして気づいたことは、”温かさ”である。人間の描き方が温かい。ストーリーの展開が温かい。といっても、歯の浮くような優しい言葉を並べたてる、そんなセリフはほとんど無い。翻訳のせいもあるだろうが、会話は最小限だし、見ようによってはそっけない。それだけとったら冷たくも映る。それなのに、いいようのない温かいものが残る。
温かさに奥行きがある、といったらいいかもしれない。深いのだ―。そう、暖炉だ。暖炉の温かさを体験したことのある人なら、言いたいことが分るかもしれない。壁や床の石材や木材に熱が伝わって、部屋の隅々までじんわりと温かくなる。ああゆう感じだ。
この新鮮さに興味津々になったわたしは、最初は避けていた戦争ものも、恐る恐る観てみることにした。気分が悪くなったら途中でやめればいい、と言い聞かせながら。ところが、そっちの方も大丈夫だった。あるいは映像制作に法的な規定があるのかもしれないが、人を殺傷する瞬間はほとんど映さない。そのため暴力的なシーンでも、吐きそうになる映像が無いのがありがたい。そしてやはり、観る者にどこか温もりを残して終わる。
これ以上のことは、わたしの拙い表現力では伝えられないだろう。観てもらうしかない。もちろん、わたしと同じ感想は持たないかもしれない。すごくガッカリするかもしれない。当たり前だけど、他人がどう感じても責任はとれない。
ロシアに対しては、おそらく普通の人より興味を持っていた。それは、わたしの仕事というか、ライフワークに関わることでもあるからだ。わたしは”人間の行動研究”ということに携わっている。そういうのは、国や民族や人種や、そうした区分けを超えたところでおこなうものであり、さまざまな環境の人々に一律に興味があるからだ。
またわたしは、そうした研究の繋がりから、数名のロシア人の若者たちと、ほんの数日ではあるが、一緒に仕事をしたことがあった。その時の印象は、なかなか良いものだった。それからわたしは、ロシア民謡が好きである。あの、哀愁が漂う深い音調に、子どもの頃から惹かれていた。
ロシアに興味があった理由をあげれば、まあこの程度のことだから、ロシアについて良く知っているわけではない。日本人の中には、きちんとロシアについて学んだり、あるいはロシアに住んでいたり、ロシアについて良く知っている人々はたくさんいるだろう。ただとにかく、ロシアに対する偏見や意見を、わたしはほとんど持っていない。
ロシアは、北海道に通じている、わたしたちの国のお隣の国でもある。それなのに、わたしたちはロシアについて、ほとんど何も知らないできた。世界大戦は80年前に終わっているし、ソ連も崩壊した。それなのに、まるで敵対する国であるかのようなプロパガンダが行われ続けていたのも事実である。しかし、そんな複雑な問題についてここで追求する気などない。
わたしがロシアについて知らないからこそ、ロシア映画は新鮮だったのだと思うが、その国の映画というのが、その国や人々の情緒的な部分を感じとるのに、たいへん有効なものであるというのを、あらためて感じた。
映画の中で、「わたしはロシア人だ」というセリフがよく出てくる。「わたしはアメリカ人じゃない」というセリフもときどきあるが、その場合は、「ロシア人は、アメリカ人のようなやり方をしない」ということを言っているらしい。アメリカとロシアの関係を、ちょっと垣間見たりもする。
そして、凍えるような寒い国だからこそ、深い温かさが育ったのかもしれないな、とも思う。日本のことを考えるなら、四季がある日本だからこそ、日本人らしさがそこに育ったのだろうから。
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