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猫を飼うまでと動物と我が家 鶏のぴーちゃん編

①が思いのほか長くなり、続きとなりました。いや、今回は1羽だけで終わると思います。ええ。
だって、猫を飼うまでに、私、10年くらいはかかってるし(最初の猫は10歳くらいだった)、①の時は幼稚園だったし(笑)
ということで、小学校あたりのお話を。このあたりから被っていろんな動物を飼っているので、今回は特に思い出深い、鶏のぴーちゃんのお話です。


ここまで暮らした動物たち②

おおよそ猫を拾うようになるまでは、うちには鳥が多かったです。つねに、文鳥やらセキセイインコやらがいました。
その中でも印象的な子のお話を。とても長生きした、我が家の初代女王です。

鶏(チャボ)のぴーちゃん→安易なネーミング

小学校の1年生の時、父親が有精卵をもらってきてくれました。
一度目は、こたつの中で温めたのですが、ゆで卵になってしまい、…ごめんなさい( ;∀;)
二度目は、7個ほどもらってきてくれ、今度はこたつじゃない方法で温めることになりました。
大きな海苔の入ってた瓶に、脱脂綿を敷き、その上に卵を並べる。そして、瓶の口に空気が通るように隙間を開けて、白熱灯を照らす(24時間)という方法です。卵は、鶏のお母さんたちがするように、時折回転させたり動かしてやりながら温めること数週間。
7個あった卵のうち、1つに穴が開きました。
穴を開けた後、殻を破る元気はなかった様子で、父が殻を割って、仲のひよこを取り出しました。
我が家のぴーちゃんの誕生です。いやあ、ピヨピヨ鳴くからぴーちゃん。安易です。ありがちですよ。
まあ、当時7歳の私のことですから許してください。
ちなみにこのぴーちゃん、私が21歳になるまで生きておりましたので、14歳まで生きたすごい子です!

そのぴーちゃん、生まれてすぐに、私が使っていたピアノの下に、段ボールの中に行火を入れた急ごしらえの巣箱に入居させました。
まあ当然、目が開いてすぐに見たものは黒くて大きなピアノ。
鳥は生まれて初めて目にしたものを親だと思う、といいますが…この瞬間、ぴーちゃんの親はピアノとなりました!
よちよち歩けるようになっても、戻るところはピアノの下。
すっかりひよこではなくなって、立派なトサカができても、夜寝るのはピアノの椅子の背もたれの上。
一度蹴られてから天敵となった父の足を、一撃くちばしツッツキ攻撃した後は、ダッシュでピアノまで戻る。
といった具合です。
物言わぬピアノさんとは、本当に仲良しでした。

ちなみに、育てていた鶏は、チャボという種類で、普通の鶏より小さい種類でした。卵も小さかったです。鶉よりは大きいけど、鶏の半分くらいしかない卵でした。
当然、体も小さかったのですけど、気持ちはとても強い子で、ここからの14年間、彼女は我が家の動物たちのヒエラルキーでは、トップを守り続けました。

この世に生まれてからしばらくは、金魚と鶏と文鳥だけの生活だったので、ぴーちゃんは室内飼いでした。2DKの社宅アパートでしたが普通におうちの中をぴーちゃんは闊歩しておりました。
朝ごはん、一緒にレタスを食べ、スライスチーズを食べ、その後配合飼料も食べる。
お昼は、窓辺の座布団でお昼寝して。(この時本当にリラックスしてるのでトサカは薄いピングになっててかわいかったです)
夜はピアノのところで寝る。そんな感じでぴーちゃんはお部屋で一緒に暮らしていました。
鶏も、名前で呼んで、家族として一緒にいると、なつくんですよね。
とくにチャボっていう鶏種は、小さく愛玩用に改良されているようなので、比較的なつきやすいといわれてますが、一緒に暮らしていると「個性」もちゃんと見えて、【鶏】というより【ぴーちゃん】になっていきました。

ぴーちゃんが生まれてから、しばらくは、ミドリインコのみどりちゃんや、オカメインコの太郎君、文鳥のクロとシロとか、沢山の小鳥やインコを飼育しました。
ぴーちゃんは長生きでしたが、みどりちゃんは早世でしたし(泣きましたこれ。ほんとに泣きました)、太郎君は逃がしてしまい(これも泣きました。私の黒歴史)、文鳥さんやセキセイインコさんたちも死去してしまったりして、最後鳥で残ったのはぴーちゃんだけでした。

私は小さい頃から、いろんなものを拾うのが好きな子でした。
その辺に落ちている石とか、草とか(笑)
でとうとう、犬や猫を拾うように…(まあ必然です)
最初に猫を拾ったのは、5年生の時。これだけ鳥を飼っていて、猫を同居させることができるわけもありません。
ある意味、うちの鳥たちが犠牲になるのが目に見えてます(笑)

最初に拾った猫はみーちゃん。→また安易
猫に関してはまたちょっと後で語ろうと思うので、ぴーちゃんに焦点をあててお話しますと。
猫がやってきて、ぴーちゃんがやったことは。
「私が一番なのよっ!」ていう先制攻撃。
不思議なもので、好奇心旺盛な子猫といえども、おとなのチャボから、眉間に一発、ツッツキ攻撃を食らうと、手が出せなくなるんだとわかりました。
そして、ぴーちゃんは、ほかの小鳥たちの前に立ち、猫を近づけない鶏になりました。
みーちゃんは里親が見つかり、新しい家族の元へ行きましたが、その後私は凝りもせず、子猫を拾ってくるのです。
そのたびに、ぴーちゃんは小鳥たちを守り続けました。

猫が来てからのぴーちゃんは、住まいをベランダの鳥さん専用スペースに移動しました。セキセイインコや文鳥さんたちとマンションのようにケージを作り、一番下の階ワンフロアにぴーちゃんは居住しておりました。

ベランダなので、そしてそこに鳥の餌があるので、雀さんたちがたくさん来るようになり、姉御肌のぴーちゃんは、自分の家の小鳥を守るだけでなく、雀さんたちも養うようになりました。(いや、エサは私たちがぴーちゃんに与えてたんですけど)
ぴーちゃんは、エサの中でもトウモロコシがお気に入りで、ほかのあまり好きじゃない餌は、雀さんたちが来ると、くちばしを使って、ケージから外に撒くのです。当然雀さんたちは餌付けされ、毎日来るように(笑)
雀さんたちが楽しそうについばんでいるのを、ぴーちゃんは目を細めて、心なしか誇らしげに眺めているのが、ああ、ぴーちゃんもめんどりなのね、と思った時間でもありました。

そうして、ぴーちゃんは猫からほかの同居人たちを守りながら、時には、よそからくる雀の子たちに餌を分け与えながら(笑)、10年くらいをアパートで生活しました。

私たちは、そのあと、家を引越しします。
庭つき一軒家です(借家です)
そこには広い芝生の庭がありました。10歳を超えたおばあさんのぴーちゃんは、ここにきて若返ります。
アパートにいるときには、時折外にお散歩へ連れて行ったりしていましたが、新しいおうちは、常に庭に出れるのです!
そして、広い芝生には、小石もあれば、小さな虫もいて、それをついばみながらよく歩き、とっても健康的な生活を手に入れたのです。
そこからのぴーちゃんは、本当に10歳を超えたおばあちゃん鶏とは思えない生き生きとした姿になりました。
こりゃあ、20歳くらいまで生きるんじゃない???と思っていた矢先に、事件は起こります。

夜中に、野良猫の子猫に、襲われたのです…。
しかし、それはひっかき傷くらいで済んだのですが、やはりそこはおばあちゃん。暗闇で襲われた衝撃に耐えられず、襲われた3日後に息を引き取りました。

ぴーちゃんは、7歳からの14年間、私の青春と共にありました。
一番、印象的な時間をずっと一緒に過ごした大事な大事な家族です。

ああ、やっぱり長くなってしまいました。
次回からは、猫さんたちのお話にします。
実は、みどりちゃんも太郎君もめっちゃしゃべるインコで、楽しかったんですけど、その話はまた別の機会に。


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