人生の振り返り
初めまして。
自分の事についてこのような記事を書くのは生まれて初めてですがよろしければ最後までお付き合い願います!
1993年4月27日 神奈川県鎌倉市に生まれました。
実際自分が生まれた病院も時間もわかりません笑
生まれた日にちだけ分かってればいいかなと思っています笑
幼稚園の時から母親の好みで男ですが髪の毛は周りの女の子よりも長く、ロン毛でした笑(これは中学で野球部に入るまで続いていました笑)
この頃からhave toで生きていたのかもしれません笑
家族や幼稚園の先生達周りの多くの方に愛され育ててもらいました。 (母親の両親とも一緒に住んでいたのでかなり甘やかされて育ちました)
自分には4個上の姉がおり、そこに常にくっついており小学校に入る前から当時住んでいたマンションの公園で遊んでいました。
そこで今現在も仲良くしているとても大切な親友と出会いました。 (親友は兄と弟がおりご両親含めとても仲良くさせて頂きました、自分にとっては第二の家族だと今でも思っております)
小学生になり、当時水泳をやっておりましたがそれも辞め(続けていれば絶対に今頃オリンピッ・・・)
少し離れた少年野球のチームに姉と一緒に入りました。家でおじいちゃんととジャイアンツの試合は良く観ていたのでそこまで抵抗はありませんでしたが絶対にやりたいという気持ちではなかったです。
案の定ヘタレであった自分は練習がきついなど言い訳をしてしばらくして辞めてしまいました(この時6年間しっかりやれば良かったと心の底から後悔するとはこの時は全く思いませんでした)
3、4年だと思うのですが親友の影響でサッカーを始めましたが長くは続かず、そろばんなどもやりましたがこちらもすぐに辞めてしまいました。
体だけ少し大きくなりいばってばかりで親友ともよく喧嘩していました。
この時もっと何かに取り組んだりしておけば色々と変わっていたかもしれません。
このまま卒業して中学では卓球でもやろうかと思っていた時(当時中学校の卓球部は強くて、ただそれがかっこいいと思っていただけです)
隣の教室で本来テレビをつけてはいけないのですが友達とつけた時たまたまメジャーリーグの試合が行われており、当時マリナーズにいたイチロー選手が打席に入っていました。
なんとなく知ってるからイチロー選手だけ見るか、と思い観ていました。
結果はセンター前ヒット(わかりやすく言うと2009年WBC決勝のタイムリーヒットとほぼ同じ)
イチロー選手からすると日米通算4367安打のうちの1本ですが、当時の自分はめちゃくちゃこのヒットに衝撃を受け、中学で絶対に野球部に入ると決意しました。(多くの人がイチロー選手に影響を受けたと思いますが自分もそのうちの1人でした)
中学に入学(髪の毛との別れ)
中学は別の小学校からも人が来る為、程よい緊張感があったのを覚えている。(何故かナメられたらやばいという意味不明な感情があった笑)
親友の2個上の兄も野球部で少しの間先輩後輩の関係になったのも今考えてみればすごく新鮮だったと思う。
野球部に入るためにかなり髪の毛は切ってきたのだがまだ長いだろ、と言われてさらに切った、ここでようやく普通の短髪男子になった。
中学最初の夏休みに国語の宿題が多すぎて絶望し、宿題は出さなかった(確か30人ほどのクラスであったが自分含め3人おり、教卓の前に並んで怒られた記憶がある)
案の定中学最初の成績で5段階評価で1をもらった(ちなみに理科も1だった) 絶望した、親に絶対に怒られると思い見せる前に先に謝り倒したのを覚えているただし理科は言い訳の仕様がなかった笑
1年の秋頃一緒に住んでいたおじいちゃんが亡くなった。 初めて人が死ぬという事を体感した、当時母は自分達には見せなかったがかなり落ち込んでいた、この辺りから母と父の関係は悪化していった。
勉強に関しては3年間でオール3プラス1くらいまでは行った 勉強は大事だとここで身を持って持って体感した笑
肝心の部活だが結論から言うと3年間ずーっとベンチだった。 もちろん公式戦だって1試合も出れなかった。 先輩達がいなくなってからも練習試合もあまり出れず、最後の方は部活に行くのも嫌だったし早く引退したいとばかり思っていた。(こんな気持ちでやっていたのだから対してうまくもならず試合にも出れなかったのだと思う)
練習試合も多く交通費もかなり使ったと思う、試合にも出れず綺麗なままのユニホームを持って帰るのが心の底から嫌だった、洗濯などをしてくれる祖母と母親に申し訳ない気持ちでいっぱいで本当に辛かった。試合の帰りにみんなと別れた後に公園でユニホームを汚して帰ったこともあった。
高校受験の時に自分は特に行きたい学校も無かったので自分の成績で行けそうなところを狙っていた。
しかし前期試験の面接では落ちた(当たり前だろうギリギリ足りるかの成績で面接も普通くらいなら落ちるのは当然だ)
私立高校はお金がかかるイメージがありなんとかしてでも公立高校に行きたかったので(併願で受けた私立高校も当然ながら行きたい理由もなければ見学も行って無かった)レベルを落として、公立高校に行くことを決意した。
当時塾に行っていたので先生にも前期と同じところ受けたらどうだ?と言われたが究極に置きに行ってそちらを受けた。
後期試験の後塾で自己採点をした結果、ベストの点数を取れており、前期試験受けた学校でも合格ラインだった。(この時後悔したが行った高校に当然ながら悔いは無いと今では言える)
高校生活
入学前の段階で体操着などを買いに行った際にいかつい人が多く
あ、俺の高校人生終わったわ
ルーキーズ程では無いけどイメージとしてはそんな感じかな笑
いざ始まってみるとみんな優しい人ばかりで安心した
ただ授業中に3年生の教室から教卓が落ちて来た時は再度絶望した笑
高校でも野球部に入った、硬式野球ということでかなり怖かったけど入部する事にした。
中学の時怠けていたツケが回ってきた、練習について行くのが辛かった。
しばらくして風邪をひき、ここで自分の人生の中でかなり最低だと思う行為に走ってしまった。
他の同級生を原因に部活を辞めるという行為だ、本当に最低だったと思う。
野球部を辞めた。
その後は水泳部に2週間くらい入った、その後はクラスの友達に誘われてサッカー部に入った。
2年に上がるタイミングで野球部の皆が自分を誘ってくれた(色々事情はあったが)そこでまた野球部に戻った。
ほぼ同じタイミングで後輩も入ってきたので必死こいて練習した。
当然レギュラーにはなれなかった、でもチームメイトがたくさん教えてくれたり、練習に付き合ってくれた。
本当に感謝している。ありがとう。
そして3年生の春の大会で背番号9を貰えた、最後の夏の大会もレギュラーとして出場(結果は1回戦負け、そして最後のバッター、ショートゴロで一塁にヘッドスライディングをしたのを今でも覚えている)最後の試合、今まで一度も試合に来ていなかった母が来てくれていた。少しは親孝行出来たのかな。
進路については母親から大学には行ってくれと言われていたので、進学するつもりだった。そこまで勉強していなかったけど指定校推薦もらえるくらいの成績はあった。
ただまたしても同じ失敗を繰り返してしまう。
特に学校の事・学部の事・対して調べずに選んでしまうのであった。
本当にアホだと思う
大学は工学部の機械工学科に進学
全くもってそちらの分野に興味は無かった、1ミリも
当然の事だが勉強などには全くついていけなかった、1年の前期からおさらばする単位も多かった。
何よりの失敗は友達作りに失敗した事、地元の友達が他の学部にいたので昼飯はその友達と食べていた、後はサークルの人達とご飯食べたりするくらいだった。
サークルの先輩と後輩には恵まれたと思う、すごくいい人達だし今でも付き合いのある人達もいる。
ただ1人でも同じ学部で同じクラスの人がいればよかった(隣のクラスにはいた)
ここもまとめてしまうと大学は3年に上がるタイミングで留年して辞めた。
休学して学費稼ぐとかその辺の考えは一切頭に出てこなかたった
スコトーマが働いていたのかな辞めるという事しか頭に無かった。 (辞めてしまいたいという気持ちが強かったのだと思うから)
大学時代は他にはももクロの追っかけをしていた事だろう、たくさんのライブに行ったしたくさんの人との繋がりも出来た、そこで知り合った人と付き合っていたし、何より全力で頑張っているももクロのメンバーがとても素敵で輝いており多くの元気をもらっていた、ライブなどにバイト代はほとんど突っ込んでいた記憶がある。
本当に素敵で輝いているグループでした(もちろん今でも好きだし応援してます)
社会人編
大学を辞めた自分はすぐにハローワークに行き仕事を探した、体を動かす事がいいと思い、ルート配送の仕事に応募してみたスムーズに話が進み働くことになった。
3日目くらいの時に上の人と話しながら仕事をしていると自分はパート契約になっていた事がわかった、正社員になれるのは2、3年後と言われてすぐに辞めた。
正社員で働きたいという思いがあったので再度ハローワークへ
次の会社に入社
さあ色々と始まると思って色々期待と不安が入り混じっていた。
詳しくは書けないけど、この会社は1年半くらいで辞めて今の会社に就職した。
2016年10月
今の会社での新たな人生をスタートした。
入社してから営業に出るまでの半年間で体重は8キロほど落ちた。
当時22時を超えたら何も食べないという自分ルールを設定していた為。 (今考えると筋肉に悪すぎる)
ただ本当に何にも考えずに働いていた。
命の使い方どうこうでは無く、目標も何も無く言われたことをひたすらこなすだけの生活。
毎週金曜には友達と仕事の愚痴を言いながらお酒を飲み、女の子がいる店に行ってはお金を使うだけの日々であった。
生きていくには働くしかない。
ただただ現状維持でしか無かった時を過ごしていた。
2018年の12月
親友がゴールドジムに通うと教えてくれた、会社の帰りに通る駅にあったようでいいなーと思って聞いていた。
同じタイミングで最寄駅に24時間のジムが出来ることを知った自分は、親友が筋トレ初めてパワー負けしたら嫌だ、という理由から新しくできるジムに通う決意をした。
早速次の日に見学に行き、その場で入会した。
親友とお互いにyoutubeやネットで色々と情報を集めて交換したりしてすごく楽しかった。
自分はいつも仕事帰りにジムに行き、それが楽しくて仕事を頑張っていた。
早く終わらせてジムに行きたい、この気持ちしか無かった笑
会社の人にも鍛えてなんになるの?楽しい?など言われたがそんな事気にせずジムに通っていた。
(この頃少しでも発達した筋肉を親友と触り合っていた時期もあった笑、他の友達には気持ち悪いぞと言われたいた笑)
2019年の6月
自分にとって衝撃が起きた。
アキオブログに出会った。
こ、こんな人いるのか。
筋トレしながら副業もして最強だ・・・
しかも両方で結果を出している、親友と絶句した。
そこからはもう完全にアキオさんにどっぷりハマってしまった。
年齢も1個しか変わらないのに凄すぎる。(この時はアキオさんがこれまで多くの挑戦をしてきたことも知らず、この人は天才だ、と決めつけていた)
動画をずっと観ている中で
コーチング
このフレーズが出ていることは知っていたが気にもせず調べもしなかった(盲点であったスコトーマだったのであろう)
松田さんとの目標達成会議のパクリをして、毎週土曜日の朝7時に親友とカフェに集合してお互いの近況報告だけしていた笑
そこからダイエットバトルなど様々な企画などが始まり、多くの人が変わっていくのを観ていた。
そこでコーチングについても少し調べてみた、実際これでどんだけ変わるのだろう、変わっていった人は元から才能などがあるのだろう。
お金も高いしいいや
と考えていて逃げていた。
一度インスタでアキオさんに仕事の相談をしたことがあった。
この時コーチングを受けてみるべきと教えて頂いたのに自分は行動できなかった。今でも本当に情けないと思う。
現状を変えたいと思っているのに何もしない。
ホメオスタシスが働くとかそれ以前の問題、行動することが出来なかった自分、これに尽きる。
その後もアキオさんの進化は勢い劣らずドンドン進んでいった。
この人は天才だ、すごい、この気持ちを前面に出してただ進化を見ていた。
その間にも新しい仲間がどんどん増えていき、みんな元々すごい事をやってきた人達で才能の塊なんだと。
大阪にパーソナルジムを作ったと思ったら名古屋にもジムを作るという。自分はクラファンで協力できればいいやとしか考えてなかった。
ただそうやって月日が流れていくだけであった。
アキオさんの真似で会社とジムまで近いところに引っ越したり、ヘリノックスの椅子を買って部屋で座ったり、乾燥機付き洗濯機買ったり
ただそんな頃にはアキオさんはもっともっと先にいた
到底追いつく訳がない
行動してないのだから
ずーっと今の環境に文句を言ったりするだけで
何か変わったのか?
何も変わらない。
ただ自分は運が無い、タイミングだ
ずっと言い聞かせていた。
2020年12月
コーチングセミナーがある事を知った。
前半のやつはもう日にちが過ぎていたので26日のページを見ていた。
まだ枠が3つ余っていた。
高いなー、と思ってその日は寝た。
次の日気がつけばまたそのページを見ていた。
まだ募集してる・・・
もう道を切り開くには行動するしか無いのを分かってはいたけど踏み出さない自分が本当に嫌になりそうだった。
ダメならダメでいいから申し込しよ!決意してすぐに申し込んだ。
どうなるんだろう、そわそわしながらその週を過ごしていた。
申し込んだその日からコーチの方のノートを読んでみることにした。
みんなこれまで成功ばかりだと思い込んでいたが実際はそうではなかった。
壮絶な苦労があり、その上で行動して現状があるんだということを知った。
自分はコーチ全員に申し訳ないと思った、ただ才能がある人達だと思い込んでいたからだ、自分が行動しなかっただけじゃないか
あれだけアキオさんが行動あるのみと言っていたのがわかった。
セミナー当日の朝、実は渋谷まで行って会場に向かっている時もビビっており帰りたい気持ちがあった。(気休めで近くのファミマのベンチでレッドブルを飲んで気合い入れていた)
会場に行き、いつもyoutubeで見る人達だ!!!とめちゃくちゃテンション上がっていた(受付ではるかさんに体温測ってもらう時めっちゃ緊張した)
席についても緊張したままでどうなるか心配であった。
セミナーに関しては深いことは言えないが
簡潔にいうと
最高だった
なぜもっと早く行動しなかったのか、それに関してはもう取り返しはつかないのでその瞬間からどうやって生きてくかだけを考えるようにした
あの空間で多くの仲間にも出会え本当に幸せな時間でした。
あっという間に1日が終わってしまった。
認知科学に基づくコーチング、これは本当にすごいと思った。
今セミナーで学んだことを持ち帰り、自分の中で新たに調べ物(本を読んだり、SNS等で日々多くの知識を学んでいます)
自分のように一歩踏み出す事を躊躇している人達の背中を押して挑戦させてあげたいし、自分自身さらに行動してパワーアップして多くの人の力になりたい。
自分の命を使い切る道を見つけたのでそこに向かって走ります。
誠さんのノートに書いてあった
何者でもないからこそ何者にでもなれる
この言葉がものすごく突き刺さりました。
自分はこれから本当のwant toをする為に
ゴールまで仲間と一緒に走り抜けます。
一度きりの人生、27歳
まだここから行きます!!!!
長くなりましたが読んで頂きありがとうございました。
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