抱負
新年が明けて日常が戻りつつある昨今、2022年も6日が経ち、世間は正月モードから仕事モードの間の静かな調整時間のような雰囲気が漂っている。
コロナ禍もあってなかなか里帰りできなかった去年に比べて、久しぶりに会う友人や家族とともに過ごした方も多かったのしれない。
自身も実家に戻って、毎日ご馳走を食べてお酒を飲んで過ごしていた。そんな生活も3日も経てば飽きてきて、運動がてら走ったり、今年はどんな年にしようかとぼんやり考えたりする。
「抱負」
人類の歴史でいつから年の初めに抱負を立てるという習慣があるのか、日本人だけが年の初めに抱負を立てるのか、世界各地の人々が行なっているのか分からないけれど、心の中に持っている計画・決意を表す言葉らしい。
はじめて「抱負」を持った日のことは覚えていないけれど、子供の頃は持っていなかったと思う。
大人になってからも毎年立てているかと問われると、そうでもないと思う。
去年の抱負は覚えているけれど、一昨年の抱負は覚えていない。
一年という区切りの中で新たな気持ちになるこの時期に思い、生まれるものなのかもしれない。
今年はその「抱負」を立ててみた。今年の抱負は、文章というものを残してみたいと思っている。なぜ文章なのか?と言われると返答に困るのだけど、普段の生活で本を読むのが習慣になっていて、その中でも特にエッセイが好きでいろんな人のエッセイを読み漁っている。
日記でもなくBlogでもなく、コラムでもないエッセイ。
この少し内向的でその人の世界観が詰まっているような、読み始めるとその世界観に引き込まれるような文章がとても好きで心地よく読んでいる。
エッセイにはヤマやオチがなくても、その世界観に引き込まれる気がして、そこが魅力的なのかもしれない。
そんな様々なエッセイを読み漁っているうちにいつの日か自分でも書いてみたいとぼんやり思っていた。
「世界」というものが人々に共通にあるとしてもその捉え方は様々で、一緒に散歩に出たり、旅行に行ったり、食事をともにしても感じているその同じ「世界」は違っていて人それぞれだと思う。人によって視点が違ったり、表現が違ったり計る物差しが違ったり、その捉え方を文章という形で表現できるのがエッセイなのかもしれない。
思っていることを「声と言葉で伝える」「文字と言葉で伝える」、伝えるという点では似ているようで大きく違うものだと思う。実際に文章で書いたことを話して伝えてもまったく伝わり方が違ってしまう。良くなることもあるかもしれないけれど、多くは思っていることの半分も伝わらない形になってしまう。
いや、伝わるのだけれど伝わり方全く違うと言ったほうがいいのかもしれない。文章は目を使って受け取るもの、声は耳を使って受け取るものなので人の感覚として、別のものを使って受け取っているので当たり前かもしれないけれど。声の方がより社交的で、文章の方がより内向的に感じている。
そもそも文章を書きたいと思う理由に何かを伝えたい、とも思っていないのだけれど、何か小さな世界観が生まれてくれたらいいなと思っている。
ちなみになんとなく今年の抱負にしてみただけなので、いつまで続くかは分からないと思いながらこの文章を書いている。