生産性がないとか言われるんだろう
先日大学のゼミで、同性婚を認める認めないの議論があった。
その中で、同性婚だと子供を産めないという意味で生産性がないから、認めないという意見があるのではないか、という意見が出た。
生産性か、と考える。
どうして同性婚を認める認めないの議論に、生産性の話がくっついてくるのか、私には分からない。
同性婚は子供を産めないから生産性がないと言うのなら、異性間の結婚は子供を産めるから生産性がある、ということになる。
果たしてそれは正しいか?
子供を産むために結婚するのではないだろう。
女性は子供を産むために生きているのではないだろう。
異性間での結婚は子供を産めて生産性があるというのなら、異性間で結婚し子供を持たない選択をしている人たちは生産性がないということになる。
女性の性別役割の押し付けだとも考える。
生産性。何にとっての生産性を語っているのか。
社会?国?少子高齢化はもちろん課題だし、社会保障や税金の問題にも絡んでくるから、今生きている私にももちろん影響してくる話だろうと思う。
だけど、それを個人の選択と結びつけて、社会にとって利益がないから認めない、というのは違うと思う。
結婚もしたくなくて子供を持つことにも積極的になれない私は、生産性がないとか言われるんだろう。
生産性がない選択は認められない、つまり社会にとって利益にならないから認めない、のは、全く納得ができない。