見出し画像

自分と世界は思ったよりもつながっていた【留学を通して】

一か月間、語学留学に行ってきた。
場所は地中海に浮かぶマルタ共和国という国。淡路島と同じくらいの小さな島で、海と自然と歴史に溢れた美しい島だった。
語学学校に通いながら、ルームメイトと海に行ったりレストランに行ったりお買い物に行ったり…。
この21年の中で、最良の4週間だったように思う。

留学中、何度も思考が更新される感覚があり、noteを書いて整理したいと思ったのだが、とにかく英語漬けにしたかったので日本語での作業はできるだけ避けていた。帰国してから書こうと日記だけはつけていたのだが、帰国して1週間が経とうというこの日、早くもいろいろな記憶を忘れてしまいそうな不安に襲われている。すべて忘れてしまうその前に、書いておきたいと思う。

最初は、総じて感じたこと。「自分と世界は思ったよりもつながっていた」という気づきに関して。

私が大学に入学した年の2月、ロシアがウクライナに侵攻を開始した。
ロシアという大国が戦争を始めたことに衝撃を覚えたのはもちろん、当時私は合格をもらった2つの学部(福祉系と社会学系)から入学する学部を選ばなければならない時期だった。
浪人時代に経験した心の病やそれに関する心理的支援に興味があり、将来の仕事につながる資格も取れる福祉系の学部を選ぼうかと思っていたのだが、その侵攻を受けて、やはり国際関係を学びたいと社会学部を選んだ。

だがそれでも、私にとってウクライナ戦争はあくまで他人事だったように思う。

遠く離れた日本という平和な国の、何の知識もないただの大学生にとっては、衝撃を受けるには十分であっても、それを自分事として捉えるにはあまりにも、ウクライナ戦争におけるあらゆる物事が遠く離れたものであったように思う。
毎日流れるニュースのなかで死んでいる人々、空襲におびえる人々、世界各国の首脳たちの声などなど、すべてが画面上の出来事に過ぎず、私とはほぼ無関係の世界で起きているようにしか思えなかった。

戦争が起きていることは知っているけど、ただそれだけ。

だが留学で、自分とウクライナ戦争は同じ世界にあるだということを知った。

語学留学に関しては、マルタ共和国には英語圏でないヨーロッパの国、例えばドイツやイタリアなどの国からの人が多く訪れる。イギリスは授業料などが高いそうで、物価も比較的低いマルタは人気の場所なのだそうだ。

月曜日から金曜日の授業をいちターンとして、毎週金曜日にその週で期間を終える人の卒業パーティーがあり、次の月曜にはまた新しい生徒が入ってくる。
だから毎週月曜日は、出身と名前を尋ねる質問が教室を飛び交うのだ。

そしてその中で、私が出会った人の内数名から、以下のような答えが返った来た。

「出身はウクライナだけど、今はポーランド」
「出身はウクライナだけど、今はドイツにいる」

「逃げてきた」といった戦争を連想させるような言葉は誰も使っていなかった。だけど多分、彼らはきっと「逃げてきた」のだ。

またそのうちの一人、ドイツに住んでいる男性は「ウクライナに帰りたいけど、もし帰ったら戦争に行かなくてはいけなくなってしまう」と言っていた。みんながお酒を飲んでがやがやしている場だったこともあってか、彼は何でもないことのように話していたが、少し考えてみればわかる。きっと何でもないことではないだろう。家に帰れないのだから。

ウクライナの隣国であるポーランドやハンガリー出身の人ともたくさん話をした。ポーランドやハンガリーは移民の問題を抱えているが、彼女たちにとってそれはあくまで当たり前の恒常化した社会問題の一つ、という感覚のようだった。最初こそ大きく取り上げられ、歓迎ムードだったものの、雇用のや家屋の問題、貧困の問題など多くが露呈し始め、終わりの見えぬまま今の今まで続いている。

全く別世界で起こっているも同然だったウクライナ戦争が、こうして人を通じて私の世界とつながった。
論理ではなく、つながっているんだというこの紛れもない「感覚」は、私にとってこの留学で手に入れることができた大きなものの一つであるように思う。

とりあえずこの辺で。最後まで読んでいただきありがとうございました。





いいなと思ったら応援しよう!