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「象ゼミ」という名の読書会
Covid-19の自粛期間中に、大学時代に同じゼミで切磋琢磨した友人にふと連絡をとってみたところ、非常に会話が盛り上がってしまい、改めてZoomで飲むことになった。ただその友人は全くお酒が飲めないので、もう一人共通の友人(かつ僕にとってはバンドメンバーでもある)に声をかけて、3人で開催することになった。
他愛もない話やら近況報告をしていたら、あっという間に3時間くらい経ってしまったので、次回の開催日程をその場で決めることにした。その際に、「せっかくなので何かテーマを決めようか」という話になり、読書会をすることになった。3人中2人が元ゼミのメンバーということもあり、「これは10年ぶりのゼミだねぇ」などと言ってアラサー3人で盛り上がった。ただ、特に何かを研究するわけでもなく、共通の本を読んだ上で好きなことを話すだけなので、どちらかというとクラブ活動に近いような気もする。
そのうちに、形から入りたがる自分は「何かゼミの名前も付けよう」と進言し、皆で話していたら「象ゼミ」という案が出た。単純に僕と友人が組んでいるバンドが「Mr.Elephants(ミスターエレファンツ)」という象にちなんだ名前だからという安直、極まりない案である。そこで、どうにかそれっぽい理屈をこじつけることにして書いたのが、下記の文章である。どうかご笑覧いただきたい。
象ゼミステートメント
「群盲象を評す」というインドの諺がある。これは、主に個別具体の事象に囚われるあまり、大局を見失うことへの戒めとして用いられる。しかし、自らの経験に基づいた主張することは決して悪いことではない。それどころか、他者との対話によって大きな示唆を得うる機会と捉えることもできよう。古来より、「群」には「城邑」の意があり、城壁に囲まれた土地や都を指すと言われている。他者との対話を通して、正に自らの思考の囲みを出ることで、我々は新たな知の世界を拡張できる、とは言えないだろうか。ちなみに「群盲象を評す」の対義語は、「一を聞いて十を知る」である。ならば我々は「一を聞いて象を知る」を目指そうではないか。読書と対話を通じて、日常の凡庸な体験を共有し、新たな象を発見するのである。ここに「象ゼミ」の発足を宣言する。
酔っ払った状態で、無理やり理屈を考えてはいけないということがよくわかる。どうかこれを読んでいる皆様には、くれぐれも同じ徹を踏むことのないように願いたい。
ただ2〜3週間に一度のペースで、気のしれたメンバーと一緒の本を読んで、好き勝手にいろんなことを話すのもなかなか楽しいので、あまり気負わずお気楽にやっていきたいと思う。ちなみに、今はこんな本を読んでいる。
この象ゼミで何か学びを得られることがあったら、またつらつらと書きたいと思うが、少し先になるような気はしている。