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#027 2号で休刊となった少年サッカー誌『J-Kits(ジェイ・キッズ)』

 Jリーグ開幕から1年後の1994年、少年サッカー雑誌『J-Kits(ジェイ・キッズ)』の創刊にこぎ着けた。F1からの撤退を決めて、会社をたたんで1年後に、元いた会社(日本文化出版)に戻っての初めての大きな仕事だった。
 目指したのは、“未来のJリーガーを応援する少年サッカー誌”。
 現在も行われている全日本少年サッカー大会を目指す小学生のサッカー選手たちが、夢を語り、技術を学び、ともにサッカーを向上していく場が、この雑誌になってくれたらとの願いが出発点だった。Jリーガーのための雑誌ではなく、Jリーガーを夢見る少年少女のための雑誌だ。
 創刊を前に、母校の浜名高校時代の恩師である美和利幸先生(当時は浜松北高に在籍。私が高校2年の時の担任で、その年、サッカー部ができなかったら学校を移るかもしれないという話を聞いた数人で、サッカー部らしきものを作って、初めてサッカーボールを蹴った)を訪ねると、是非会ってみなさい、応援してくれるはずだと、数人の名前と連絡先を教えてくださった。
 それで、最初にお訪ねしたのが、その年まで23年間にわたって清水FCジュニアチームの監督をされていた綾部美知枝先生だった(当時は確か、清水区役所でスポーツ振興課のような部署におられたと記憶する)。
 お話を聞いている中で、とても興味を引かれる話があった。
 それは、先生の下で育っていった“清水の三羽がらす”と言われていた3人の少年の話だった。
 その3人というのが、当時、清水エスパルスの中で、チームの主軸として活躍していた大榎克己、長谷川健太、堀池巧の3選手だった。
 その話に触発されて、雑誌『J-Kits』の巻頭を飾ったマンガ『夏の誓い』を企画した。3人が出会ってから全日本少年サッカー大会で清水FCが全国優勝するまでのドラマだ。
 清水エスパルスのクラブハウスに何度も足を運び、3人に取材しながら、ストーリーの筋を作っていった。
 それを、漫画家の高橋よしひろさんのスタジオに持ち込むと、感動的なストーリーとなって返ってきた。
 結局、この雑誌は2号で休刊となってしまったので、ストーリーは完結できなかったのだが、今でも、このマンガを残すために、捨てずに『J-Kits』は1部だけだが残してある。
 ストーリーは、こんなふうに展開する。
 まだ無名の小学4年生・堀池巧少年が山奥の小学校(小河内小学校)でサッカーを始めるところからスタートする。
 その彼に清水FCからセレクションへ参加の要請が来るのだが、本人にはまったく自信がない。
 それでもコーチの熱心な薦めもあって、参加する。すると、そこには同じ4年生とは思えない大柄で、強烈なシュートを放つ選手がいた。それが、大榎克己であり、見事なドリブルの妙技を見せて堀池を唖然とさせたのが長谷川健太だった。
 そして、2年が経つ。6年生の夏がやってくる。
 県予選を勝ち上がった3人が決勝を迎えた日の前夜のことだった。エース長谷川が高熱を出して倒れてしまう。
 ピンチに立ったチームは、長谷川抜きで戦うことに決めて、グラウンドに集合することになった・・・。
 しかし、その決勝の朝、グラウンド脇に停めた車の中には、綾部監督の「無理をしないで」との願いにもかかわらず、誰にも気づかれないようにひっそりと、出場の機会があると信じて待機している病み上がりの長谷川健太の姿があった。
 連載は、ここまでで終わりだった。
 三人はこの決勝戦を勝ち抜き、当時読売ランドで開催されていた全国大会で優勝するのだが、それは、とうとう読者に見てもらえなかった。
 いまや、『銀牙-流れ星銀』『銀牙伝説ウィード』『白い戦士ヤマト』等の大ヒットで、休みもないと言う高橋よしひろさんに、とても申し訳ないことをしてしまった以上に、夢を実現する三人の姿を、読者だった子供たちに伝えられなかったことが残念でならない。