グラタン
雨の日の歯医者の帰り道、
珈琲を飲もうといつものお店に行ったが定休日だった。
残念に思いながら帰っていると、
路地を一本入った通り沿いに新しい建物が見えた。
そこは昔、僕が高校生の頃よく通った喫茶店があった場所だ。
高校を卒業すると他の街に進学したのでそれっきりご無沙汰になっていた。
当時とは店構えが変わっているので、ごそっとリノベーションでもしたのだろうと思った。お店の前に立って看板を見ると昔の屋号のままだった。
高校生以来だからもう30数年前になるから、オーナーさんが変わったのかもしれないと考えながら思い切って入った。
店に入ると客は誰もいなかった。お店は最近できたかのような感じがした。店内の雰囲気は昔とかなり違っていた。僕は、はじめてこの店に来た客のように装いながらカウンターから一番離れた席に座った。
メニューを見ていると
「昔からのお客さんのリクエストで、お店が新しくなっても昔のメニューを載せているの」
とお店の方が声をかけてくれた。
その声を聞いて思い出した。
ママさんだ。オーナーさんは変わっていなかった。
同時にママさんも僕のことを思い出してくれた様子だ。
「昔、よく来てくれてましたよね」
と微笑みながら言った。
僕はその当時の店の様子を思い出して、
「この辺に大きなテーブルがあって、
何組かの知らないお客さんと一緒になりましたよね。」
と話して、
「当時はグラタンをよく食べた」
と言った。
ママさんは
「グラタンで完全に思い出した。あれはメニューにはないのよ」
と話した。
僕はメニューをろくに見ずにお店の雰囲気でグラタンがあるだろうと、
グラタンを頼んだら出してくれて、とても美味しかったのでいつも
「グラタン」を頼んでいたのだったと、今になってわかった。
ママさんは
「だいぶん、見かけが変わりましたね」
と言った。
そりゃそうだ、なにせ、高校卒業以来なんだから、
こっちにも色々とあったのだ。
と頭の中で思いながら口には出さずに、
ただ「はい」と答えた。
ママさんも色々あったようだ。
7歳下のお客さんと一緒になったこと。
火事でお店が全焼したこと。
それでもまた、お店をやろうと思ったこと等々。
それで今年の3月に新しくオープンしたのだと。
話していると僕も当時のことを思い出してきた。
親友のHがこの店のチーズケーキは絶品だから、
「あの子を誘ってチーズケーキをごちそうすれば絶対にうまくいくぞ」
と言うものだから真に受けた僕はそのとおりにしたら、
「私チーズ嫌いなの」
と言われて全然アカンかった事。
よく授業をサボってこの店で、
学ランを着たままでショートホープを吸いながらズッと本を読んでいた事。
当時は喫茶店でタバコを吸えたし、怒られることもなかったのだった。
そんなアレヤコレヤを思い出したら、
忘れてしまっていた事を思い出させてくれてたこの店が
とても大切なような気がしてきた。
あの当時に帰れる大事な場所だと。
僕は奥さんにお土産のクッキーを買って、
「また来ます」
と挨拶をした。
雨は降っていたが、
傘はささないで小走りで店を出た。
心が弾んでいたからだ。
雨が顔にかかるのが心地よかった。
こんな感じは久しぶりだった。