「きひつかみ」
「四柱推命学」という学問を勉強している。
不思議とご縁をいただいて、今まで2人の先生に教わってきた。
振り返ると一番最初に教わったのは母方のおばあちゃんだと思い浮かんだ。
僕が幼稚園に行くような歳の頃になると、
おばあちゃんは僕に「きひつかみ」を教えようとしてくれた。
僕の左手を取って、親指を「き」、人差し指を「ひ」、
中指を「つ」、薬指を「か」、小指を「み」と声を出して順番に指差した。
まだ時計の読み方どころか、「あいうえお」さえも知らなかったので、
当時はなんのことかわからなかった。
陰陽五行の「木火土金水」の循環を「きひつかみ」と教えようとしてくれたのだ。
これを覚えたら、「お供えの饅頭をあげる」と言われたので、
お饅頭欲しさに覚えた。
おばあちゃんは次に「甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、、、」と僕に教えだした。
しかし、僕は嫌になって逃げ出した。
普段は優しかったおばあちゃんが真剣に教えようとしてくれたのが、
小さい僕には怖いと映ったのだろう。
おばあちゃんは大正3年生まれの「五黄の寅」。
昔のことなので本当のことはわからないという。
おばあちゃんの親が役所に届けを出したのがその歳だとも聞いたことがあった。
「五黄の寅」生まれの人は気が強いと言われているそうだ。
おばあちゃんの相方、おじいちゃんは讃岐の出身で神戸で設計建築を身につけた。
どうして和歌山に来たのかは聞いてないが、とても苦労したという。
おじいちゃんは肝臓が悪くて布団に寝ながら仕事をした。
大林組の下請けをしていて電話で注文を受けて、電話で大工に仕事の指示をしていた。
その体が弱かったおじいちゃんを戦前、戦中、戦後に渡って支えたおばあちゃんの苦労は、並大抵の事ではなかったと想像する。
やはり「五黄の寅」の女性だから出来たのだろうか。
おばあちゃんがどうして「きひつかみ」を知ったのかは今となってはもう、わからない。
体の弱かったおじいちゃんと共に暮らしていくのを心配して陰陽五行の活用をし、
運命の荒波を少しでも上手に乗り越えようとしたのだろうと想像する。
母がおばあちゃんに変なことを教えるは止めてくれと言ったので、
僕が逃げ出した後、何もおばあちゃんから習っていない。
四柱推命学の先生と不思議とご縁をいただいた今振り返ると、この縁はおばあちゃんの想いが時間を超えて取り持ってくれたと感じ感謝している。
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