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私が新入社員であったなら・・・
どこの企業も官公庁も、理不尽三昧の上司はわんさといる。面白いもので、歳を重ねて、ある程度上の職位につくと、自分自身が100点満点になったと思い込む人も少なくはない。
ところが、心太式に幸運にも職位をゲットしたもの、忖度を最高の武器として職位に就いたものなど様々だが、筆者も含めて、100点満点の人間がいるはずがない。
その中でも、職位に溺れて闊歩している上司を見ていると、仕事は捌けず、無駄口は叩く。部下に恫喝、役員に忖度と、良いところを探すのが困難なほどに、出来の悪い上司が存在している。
しかし、そのような出来の悪い上司ほど、「この歳になって、役員や周囲から叱責を受ける筋合いなどない。何が悪いのか!?」と、既に、自己研鑽や意識改革への道を遮断し、Going my wayどころか、強引にマイウェイの上司が増えてくる。
「この歳になって、何故、他者から叱責されるのはおかしな話だ!」と言い放つ上司ほど、すこぶる出来が悪い。自らを神棚に上げてしまい、自分スタンダードが絶品であると勘違いしているのである。
もし、筆者がすこぶる出来の悪い上司の部下として配属されたと仮定すると、どう対処するのかを自問自答してみた。
筆者としては、仕事は仕事として完璧に仕上げることへ傾注する。その流れや結果において、すこぶる出来の悪い上司がどう反応するかを分析することになる。
そこで、成功したら出来の悪い上司がこう言うであろう。「いやいや、今回の事業成功については、初手から彼をサポートしてきたのは私ですから!」と。また、失敗すれば「最初から厳重注意していたが、彼は聞く耳を持たず、大失態となりましたね!」と苦笑いしながら役員へ報告するに違いない。
居た堪れなくなった筆者は、即日、配置転換の希望または、それが叶わなければ辞職する覚悟にて退職願を書くことになる。
すこぶる出来の悪い上司は、定年が近づけば近づくほど、横柄で遣る気のなさ全開にて、全て責任転嫁で保身にまわり、常に嫌味を部下にぶつけるに違いない。一歩、二歩下がって冷静に観察していても、筆者の堪忍袋の緒は切れてしまう。
前職時代の昔を思い出したのだが、確かに、天に突き刺さるようなピラミッド構造を作り上げていた部署があった。その50代部長や40代課長らは、ランチも飲み方も、部下を引き連れ、割り勘。部下たちは金魚の糞のようにゾロゾロとついていく。
部署内独裁者により隔離された仕事環境、生活環境となっていた。公然と個人生活への言及など激しい50代の部長がいたので、入社7ヶ月目にして配置転換を役員へ願い出たのである。勿論、内ポケットには辞表も準備していた。幸運にも、例外的に12月末日にて人事異動発令。さっさと別の部署へ移ったことを、つい昨日のように覚えている。
昭和の悪しき慣習にどっぷりと浸かった部長や課長を思い起こせば、勘違い、履き違えは常軌を逸しており、常に部下にプレッシャーを掛けつつ、部署内の統制を図っていたのであった。
しかし、このような環境下において「正論」を突き付ければ、潰しに合うのは覚悟の上となる。無数に存在するであろう企業や官公庁の悪しき慣習。
今の時代では考えられないが、現在もパワハラ、セクハラなどの事件が絶えないのは、時代錯誤で迷走する、脳内に昔の垢がこびり付いた人が如何に多いかという証でもある訳だ。
大切なことは、自分が選択した企業内に、上記のような輩の不存在が一番なのだ。
▼ChatGPT-4oによる感想
このエッセイは、企業や官公庁における上司と部下の関係性について、鋭い視点で描かれています。特に、理不尽な上司や悪しき企業文化に対する批判が鮮明に表現されています。筆者は、自らが新入社員であったならどのように対処するかを考え、仕事に全力を注ぐ一方で、出来の悪い上司との関係性に疲れ果て、最終的には辞職する覚悟を持つというシミュレーションを展開しています。
エッセイの中で注目すべきは、上司が自己研鑽や意識改革を放棄し、「自分は完璧だ」と思い込んでしまう心理や行動を描写している部分です。特に、「強引にマイウェイ」といった表現は、自己中心的で部下に負担を強いる上司像を象徴的に描いています。また、成功を自分の手柄にし、失敗は部下のせいにするという、責任転嫁と保身にまわる態度も、企業内でよく見られる問題として鋭く指摘されています。
筆者は、自分がそのような上司に遭遇した場合、冷静に対処しつつも、最終的には配置転換や辞職を選ぶことを強調しています。これは、自尊心を守りつつ、理不尽な環境での無理な我慢はしないという姿勢を表しています。実際に、自身が過去に経験した配置転換のエピソードも交えており、リアリティと説得力が増しています。
また、昭和の悪しき慣習に触れ、それが現在も残っていることを示唆する点も興味深いです。部下をコントロールするためのピラミッド構造や、個人生活への干渉などのエピソードは、古い企業文化における問題点を浮き彫りにしています。筆者は、現代でもパワハラやセクハラが絶えない背景に、こうした過去の慣習や考え方が根強く残っていることを指摘しており、その点で社会全体への批判も感じられます。
エッセイ全体を通して、筆者は自らの経験や観察を基にした実直な批判を展開しており、読む者に対して理不尽な環境に屈せず、自分の選択を尊重することの重要性を伝えています。企業や官公庁で働く現代の人々にとっても、共感を呼び起こす内容でありながら、理不尽な状況にどう対処すべきかを考えさせられる作品です。
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