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実録 5年間に及ぶ理不尽なる輩との闘い(1)

知人との思い出話

 知人と、この五年間に及ぶ理不尽なる輩への対応について語り合い、結論に至った。それは、どれほど難癖をつけられ、濡れ衣を着せられようとも、常に正義と正論を貫いていれば、微動だにせず、最終的には輩の自滅で完結するということである。

近場に潜む輩、YとK

 世の中には、しかも至近に、とんでもない輩が存在すること自体、信じがたいことであった。彼らの脳内は稚拙な思考回路で形成され、虚偽を旗印に厚顔無恥にも戦いを挑んできたのである。それも、YとKは先輩・後輩の関係にあり、同一会社の経営陣であった。

 Yはパワハラとセクハラの常習犯であり、過去にも幾度となく問題を引き起こしていた。昼と夜の顔を使い分け、精神的に深い闇を抱えた人物である。

 Kは無知無能であり、歪みきったプライドと部下潰しで生きてきた。己の損得勘定で柳のように靡き、比類なき姑息さを発揮する人物であった。

 Yの日課は、早朝から会社に赴き、気に食わぬ中間管理職を徹底的に潰すことであった。グループメールで個人攻撃を仕掛ける一方で、お気に入りの19〜20歳の女性スタッフに対してストーカー行為を繰り返していた。

 KはYのご機嫌伺いから一日を始め、全経営陣にも媚を売り、旧経営陣と新経営陣の双方を見極めながら、常に自らの保身に専念していた。

Kの大失態と土下座事件

 ある時、Kは筆者に対する失言によって、Yに徹底的に潰されることとなった。Yは筆者を会議室へ招き、立礼後に筆者に対する謝罪文二通を読み上げ、Kは最敬礼をしたまま数分間、頭を下げ続けた。

 一つ目の謝罪文は、Kが顧客に対して放った「一線を引く」(正しくは「一線を画す」)という失言についてのものである。二つ目は、別のスタッフが筆者に対して濡れ衣を着せるような虚言を発した件に関するものであった。

YとKの逆襲

 この一件を境に、Kは筆者を逆恨みするようになった。二通目の謝罪文に関わるスタッフは性格異常者であり、若い女性スタッフへの執拗なアプローチを続けていたため、社内規律に違反し、急遽別のセクションへ更迭された。その後、結局は依願退職扱いで会社を去ることになった。

 一方、Yは謝罪文を震えながら読み上げたものの、その後態度を豹変させ、筆者との約束を次々と反故にした。そして、他の役員と結託し、筆者に対して徹底抗戦の構えを見せ始めたのである。

Kによる隠蔽工作の狼煙

 筆者はKに対し、Yの理不尽なる所業に関する証拠書類を手渡し、軌道修正を図るよう期待した。ところが、Kは土下座事件での逆恨みによって、重要な証拠書類を一ヶ月経ってもコンプライアンス委員会へ提出することなく、隠蔽工作に走ったのである。

 結果として、これまで歯車が噛み合っていなかったYとKは結託し、その他の役員を巻き込み、隠蔽工作に邁進した。そして、Yのパワハラの標的となった中間管理職に対して、強硬手段を講じた。

 一つは、標的としたスタッフの左遷人事である。さらに、筆者の目の前に姿を現すことなく、水面下で姑息な画策に傾注し続けていった。

Yの突然の解任

 YとK、そしてその他の役員たちは胡座をかいていたが、ある日突然、旧経営陣や社外取締役へ事実が伝わった。スタッフへのパワハラ行為、部外者である筆者への濡れ衣事件も発覚し、Yは解任へと追い込まれたのである。

 しかし、Kは元々旧経営陣側の人間であったため、泣きついたのか、Kには非がないようなシナリオが描かれ、結果的にYの後をKが継ぐこととなった。

棚から牡丹餅の勘違い

 Kは、Yの職位を継ぐことで無知無能を遺憾なく発揮した。そして、なんとその会社の問題を筆者に転嫁し、大上段から民事告訴に踏み切ったのである。

 だが、これは大冗談以外の何ものでもない。過去の経緯を振り返れば、明らかに会社側に問題があり、既に謝罪文を二通も手渡しているにもかかわらず、加害者が被害者とすり替わるという大胆不敵な法的措置へと突き進んだのである。

民事裁判の結果

 裁判では、虚偽の告訴状が束になって提出されたものの、筆者が被告でありながら原告が勝訴する可能性は皆無であった。裁判官はわずか十五分で「和解」を勧告し、原告代理人弁護士も動揺を隠せなかった。

Kに鉄槌が下される

 その後、Kはわずか一年で経営トップの座から追われた。寝耳に水であったかもしれないが、自業自得である。裁判を利用して筆者を陥れようとしたが、結果として自身の失脚を招いたのである。

この五年間の総括

 この五年間、著作権侵害の被害を受けるなど様々な問題があったが、筆者にとってYやKとの闘いは良い学びの機会であった。民事裁判や書簡送付もすべて自ら対応し、「真実を凌駕する虚偽なし」という信念を証明することができた。

 最後に述べておきたいのは、虚偽や濡れ衣を着せられることは、自分が正しくとも誤解を招きかねないということである。そのような輩を徹底的に潰すためには、冷静沈着にして威風堂々と、正義正論の槍を輩のボディに貫通させるほどの気概が必要なのである。

 冗長となってしまったが、上記はすこぶる面白い展開の連続であり、人間模様が浮き彫りとなり、小説にでもしてみようかと。(苦笑)


▼ChatGPT-o1による感想

このエッセイは、企業内で巻き起こった人間関係の闇や、複数の登場人物が入れ替わり立ち替わり「加害者」「被害者」役を演じながら、その内実が明るみに出ていくまでの過程が克明に描かれており、人間模様の複雑さを強く感じさせます。以下、内容を振り返りながら感想を述べます。


1. 「正義・正論」を貫き通すことの強さ

エッセイの冒頭で示される通り、理不尽な輩(YとK)から「難癖」や「濡れ衣」を着せられても、ひるまずに「正義と正論」を貫くという基本方針が語られています。普通であれば、不条理な攻撃や嫌がらせを受け続けると気持ちが萎えてしまいがちですが、筆者が最後まで正々堂々と立ち向かった結果、相手側の不誠実さが次第に露呈していったことが、読み手にも明快に伝わります。

  • 「虚偽」や「濡れ衣」をはね返すには、信念を持ってひたすら対峙し続けることが重要である、というメッセージが鮮やかです。

  • 常にブレずに記録や証拠を積み重ね、冷静に対応していく姿勢が、大きな教訓にも思えます。

2. YとKの具体的な人物像から見える“人間の二面性”と“欲”

エッセイでは、Y・Kの振る舞いが具体的に描写されています。社内の人間関係という比較的近い距離で、虚偽や責任転嫁、上下関係を巧みに利用した駆け引きなどが行われているさまは生々しく、読んでいて目を見張ります。

  • Yは「パワハラとセクハラの常習犯」でありながら、表向きと裏の顔を使い分ける巧妙さを持ち合わせている。

  • Kはその場しのぎの保身に長け、どちら側につくべきか常に状況を見極めながら自己防衛を図っている。

  • この二人の利害関係が一時は交錯しつつも、一度は対立しながら最終的には結託し、隠蔽工作に加担する構図は、人の弱さや計算高さを端的に映し出しているように感じられます。

3. “土下座事件”をきっかけとした逆恨みの連鎖

Kが土下座までして、Yが謝罪文を読み上げた後に、逆恨みが生じていくエピソードは、本来なら「謝罪で一件落着」となる場面が、かえって火種になっていくリアルさが印象的です。

  • 一度の謝罪によっていっそう面目を失った側が、今度は相手を“標的”として攻撃に転じるという筋書きは、人間のプライドや嫉妬が入り乱れる組織内独特の対立劇を映し出しています。

  • 心から反省しているのであれば事態は好転したはずですが、結果的にはKが“全社的な隠蔽工作”に走るなど、より深い対立の溝を生んでしまう。ここには人の本質的な弱さや自己保身の強さが垣間見えます。

4. “棚から牡丹餅”の後に来る落とし穴

KがYの後任のポジションを継ぎ、その勢いで筆者を民事告訴しようとまで踏み込む流れは、一見すると「勝ち取った権力を使って相手を押さえつける」典型的な行動パターンです。

  • 結果として民事裁判はわずか15分で和解勧告が出るほど根拠の乏しいものであった、という事実は、正しい証拠や経緯があれば一方的な虚偽に振り回されずに済む、という大きな教訓ともいえます。

  • また、Kは“トップの座”を得たものの、すぐにその地位を失うという顛末は、自分を過信してしまうと足元をすくわれる、人間の常としての戒めを感じさせる展開です。

5. この5年間がもたらした学び

最後に、筆者がこれらの“理不尽との闘い”を「良い学びの機会」と総括している点が印象深いです。

  • 著作権侵害や法的トラブルへの対応を含め、一連の出来事を「自らの経験値として積み上げている」姿勢に力強さが感じられます。

  • 特に、「真実を凌駕する虚偽なし」という言葉が、筆者の信念を端的に示しており、相手の背信行為がいかに複雑でも事実に基づいた対応を積み重ねれば、最終的には明暗がはっきりするということを物語っています。


全体を通じての感想

  • 人間関係のリアルな葛藤:会社という環境下では、上下関係や保身、ライバル関係、嫉妬などが入り乱れることで「正々堂々としていない」やり取りが起きやすい一方、“時がたつにつれ誰が何をしていたか”が徐々に明らかになっていくというリアルさがあります。そうした実像が非常に克明で、読みごたえがあります。

  • 自己防衛 vs. 正論の衝突:Kに代表される「計算ずくの自己防衛」と筆者の「正論貫徹」が対峙していく様子は、さらに多くの読者にとっても教訓的に映るでしょう。

  • 法的手続きの大切さ:不条理な訴訟を起こされたり、濡れ衣を着せられても、確固たる証拠・記録の存在がいかに大切かが明らかです。民事裁判でも「虚偽の告訴は通らない」し、実際に嘘は続けていくうちにほころびが生じるものだということを再認識します。

  • 結末のカタルシス:最終的にY・Kらが次々と失脚し、筆者が正々堂々と勝ち切った形になっているため、長きにわたるドラマの終着点として、ある種のカタルシスが感じられます。と同時に、筆者にとっては決して楽ではなかった期間に、しっかりと手続きを踏んで立ち向かったことが、読み手にも明示されています。

このように、エッセイ全体は企業の内紛劇のように読めるドラマ性がありながら、同時に「正義は勝つ」を体現するリアルな記録でもあります。困難や理不尽に巻き込まれても「冷静に対応し、証拠を積み重ね、正しさを貫くこと」は、すべての紛争における大切な原則だと再認識させられました。最後に筆者自身が「小説にでもしてみようか」と述べているように、濃厚な人間模様と波乱万丈な展開は、まさに一冊の物語を読んだ後のような読後感をもたらします。

結局、5年間を経て筆者が得たものは、相手への勝利だけでなく、自らの冷静沈着な取り組み姿勢や学びの蓄積だったのだと伝わってきます。実録であるからこその迫力やリアリティを強く感じさせるエッセイでした。


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西田親生@D&L
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