「恩を仇で返す」という愚行とその教訓
世の中には、「恩を仇で返す」という人もちらほらいるようである。人格欠損としか言いようがないが、人生において、身勝手にも「恩を仇で返す」という愚行に手を染めてはいけない。
筆者が知る限り、「恩を仇で返す」ことを行った人物で、良い人生を送っている人は皆無に等しい。「恩を仇で返す」という愚行は、ある日突然、前触れもなく降り掛かることがある。昨日まで良好な関係であった人物が、一夜にして豹変するのだ。
昨日までの笑顔が何だったのか、これまでの信頼関係は幻想だったのかと、人間不信に陥ることもしばしばである。「恩を仇で返す」に平気で手を染める人間は、「恩を仇で返された」方の立場やこれまでの履歴を無視するのだから、双方の見解が異なろうとも、礼節を弁えた言動とは言えない。
「ホテル文化と食文化」も筆者のプロジェクトの一つであるが、仕事柄、料理人との接点も多かった。そこに、「恩を仇で返す」という何人かの人物に出くわしたのである。
例えば、仕事の都合でなかなか足を運べなくなった食事処の人間が、「どうせ、サテライトオフィスに近かったから、毎日来てくれたんでしょ!」と声を荒げて電話をかけてきた。筆者としては、その店の料理が美味しかったから足を運んでいたのだが、一方的な罵言に腰を抜かしたこともある。やや精神的に病んだ状態と受け止めたが、それ以来、一切言葉を交わすこともなくなった。
ネット上で競合他社と比べれば、その食事処の露出度は突出していた。理由は、筆者が日々取材を行い、多くの記事を書き投稿していたからであるが、その努力も、上記の感情的で根拠のない言葉により藻屑と化してしまった。
筆者は、食事処へは直球で物申す。決してリップサービスをすることはなく、美味いものは美味い、不味いものは不味いと言って、改善を提案することもある。しかし、惚れ込んだものは、徹底的に取材をして記事として記録、掲載していく。
10年ほど前には、ホテルオークラ福岡の広東料理 桃花林の料理が抜群に美味かったので、8ヶ月連続で熊本市から博多へ11回ほど足を運び、計88品のコース料理を取材し、連載記事を書きまくったことがある。
日本料理に例えれば、京料理のように上品な調理法と盛り付けが、その料理長の腕の見せ所。厨房に入って、炎が燃え上がる中で、連写したこともあった。
巷では、財界の重鎮は、料理人を見下げる風潮があるのは否めない。しかしながら、秋山徳三氏をモデルとした「天皇の料理番」や昔のテレビ番組の「料理の鉄人」などで、料理人の存在と地位を高めたことは記憶に新しい。
国内だけを見回しても、凄腕料理人は数多く存在している。しかし、人格者であり匠の料理人となれば、ごく僅かである。それは、厨房外での対人関係が上手くいかぬ人も多いようで、そこでつまずいている。
数年前、「息子たちの教育を願いたい」と言われて、コンサル契約を結んだ食事処もあった。それから2年ほどが経ち、依頼した親父が豹変したのである。新たに開店した食事処を息子たちに任せ、県内外からも客が足を運ぶようなメニューで勝負をかけたはずが、突然、恨み辛みの矢が筆者に飛んできた。
当時のことを思い起こせば、「自分が言っても聴く耳を持たないので困っている。息子たちをしっかり教育して躾けてください。」の言葉を鵜呑みにして、仰る通り厳しいスタンスで教育に着手した。結局は、最初に頼み込んだ親父にしてみれば、蚊帳の外のように感じたのか、息子たちが筆者に洗脳されたと思い込んだのか知らないが、恨み節だけが聞こえてきたのである。因みに、連載記事を含めて、2年間で96本の記事を投稿していた。
そこで教訓を得たのは、コンサルを受ける場合に、決して依頼先の家族レベルのところまで足を踏み入れてはならぬということである。過去において、妙に別れ際の悪さが残っているところは、全て家族争議に巻き込まれる流れが多かったように思える。
筆者は、依頼者の言葉はしっかりと心に刻み、10を依頼されれば、50、100の勢いでコンサル業務を進める性格なので、恨み辛みの矢が飛んでくると、その凹み方は言葉に尽くし難い。とても無念であるが、「恩を仇で返す」という人物が如何に多いかに気付かされたのである。
地方の田舎ならではの個人的感情が飛び交う環境下では、ある日突然、上記のような恨み辛みの矢が飛んでくる。正直申し上げて、食傷している次第。「依頼を受ければ徹底してやる」が基本姿勢なので、途中で豹変してもらっては困惑するばかり。
このように、恨み辛みの矢が飛んでくる食事処の共通点は、意外に歴史や伝統はあるけれども、経営陣の視野が狭いところである。企業というスタンスではなく、個人事業主というスタンスで、個人的な感情山盛り状態の中での付き合いとなりがちで、距離感が非常に難しい。
それでも、双方に良縁としての接点を持ったのであれば、感情論を爆発させるよりも、冷静沈着にて円滑に事が運ぶように動くのが、一端の大人でもあり、一端の経営者ではないかと考える次第。
どうしても公私混同になりがちな地方の田舎の食事処。歴史と伝統は素晴らしいけれども、人間もまた「日々変化、日々進化。」に目を向けて、グローバルな感覚にて、凄腕の匠として、人格者としての立ち位置を築いていただければと願うばかり。
▼ChatGPY-4oによる感想
このエッセイ「恩を仇で返す」という愚行とその教訓」には、筆者の個人的な経験を通じて、恩義を裏切る人々に対する失望と教訓が描かれています。以下に詳しく感想を述べます。
愚行の描写と筆者の体験
筆者は「恩を仇で返す」という行為を愚行と断言し、そういった行為がどれほど非倫理的であるかを強調しています。このような行動をとる人々は、「人格欠損」とまで表現され、その深刻さが伝わってきます。具体的なエピソードとして、筆者が好んで通っていた食事処の店主が、筆者の善意を誤解し、怒りの声を荒げるシーンが描かれています。これにより、読者は「恩を仇で返す」という行為が、個人的な人間関係にどれほど大きなダメージを与えるかを実感します。
ホテル文化と食文化における経験
筆者の仕事がホテル文化や食文化に深く関わっていることが述べられ、そこで遭遇した「恩を仇で返す」人物たちについて触れています。料理人との関わりの中で、筆者の努力や誠意が認識されないどころか、誤解されるケースがありました。この経験は、筆者にとって大きな失望であり、また、その業界に対する信頼を揺るがすものであったことがわかります。
教訓と自己反省
エッセイの中盤から後半にかけて、筆者はこれらの経験から得た教訓を詳述しています。特に、依頼者の家族間の問題に巻き込まれないようにするべきだと強調しています。これは、筆者が過去に遭遇したトラブルの多くが、依頼者の家族内の争議に起因しているからです。また、筆者の誠実な姿勢が逆効果となり、恨みを買ってしまうこともあったと振り返り、今後の改善点として心に留めています。
経営者としての在り方
筆者は、地方の田舎の食事処が公私混同になりがちであると指摘し、経営者としての冷静さと公平さの重要性を説いています。個人事業主としての視野の狭さがトラブルを招くことを指摘し、もっとグローバルな視野を持つべきだと提案しています。この部分は、筆者が今後の改善を求めるだけでなく、自身の経験を踏まえての提言でもあり、説得力があります。
感想
このエッセイは、筆者の個人的な経験と教訓を通じて、「恩を仇で返す」という行為の非倫理性と、その影響の大きさを強調しています。具体的なエピソードを交えながら描かれるため、読者に強い印象を与えるとともに、深い洞察を提供しています。また、筆者の誠実さとプロフェッショナリズムが伝わってきます。エッセイ全体を通して、自己反省と他者への提言がバランスよく組み合わさっており、読み応えのある内容になっています。
今後、筆者の経験をもとに、さらに多くの人々にとって有益な教訓や提言を発信していくことを期待しています。このエッセイは、その一環として、非常に価値のあるものだと思います。