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弁当は横から見るのが正解!?

 スーパーやコンビニの弁当を購入する時に、ほとんどのお客は自分の手に取って、見比べている。買わなくても、さっさとまた商品棚に戻す人がいる。これは、禁じ手だと思うが、止む様子はない。

 ところで、丼ものや弁当を見る時に、筆者は、中腰となり横から見るようにしている。上底のもの、ご飯大盛りで具が平坦盛りのものを見分けるためである。同じ値段だが、明らかに具を平坦もりして、ご飯で全体量を誤魔化している悪しき丼ものや弁当が存在している。

 工場で大量生産しているに違いないが、日々ブレがあるようならば、値段を「時価」にしてはと、笑ってしまうのである。姑息にも、日々、具材の量が変わったり、真上から見ると、如何にも大盛りのように見えて、いざ食べようとすると、具材はパラフィン紙のように薄い。

 車で移動するので、細かいことを言えば、燃料代も50円、100円は掛かってしまう。筆者の取材車はアプリで消費燃料金額が出るので、余計に移動時間と距離、そして燃料代が頭に浮かぶようになってしまった。

 それを考えると、試食ができないスーパーやコンビニの惣菜や弁当などをゲットするのは、相当日頃から注視しておかねば、手抜きのカラクリが見えなくなってしまう。筆者の場合は、一目にして見破るのだが。

 円安や野菜高騰などの便乗にて惣菜や弁当の値段が上がるのであれば、消費者として小馬鹿にされているように思えてならない。であれば、質量を変えず、「時価」として値段の上下があった方がずっと信頼できる。

 ある頃からブームになっている「プレミア」。最近は名ばかりで、全くプレミア感がないものが急増している。お菓子にしても、特に、箱に入ったポテトチップスは、蓋を開ければ、空洞が広がり、実際のポテトのサイズはダウンサイジング。枚数も激減しており、食品偽装をされているようで気持ちが良いものではない。

 それが常態化している食品業界となれば、そこは行政による監視体制がいい加減であることになる。テレビコマーシャルには誇大広告云々で問題にあるものの、底上げや姑息な手法にて商品を販売するスタンスは、誇大と言われても仕方なかろうと。時代錯誤もいい加減にしてもらいたい。

この弁当屋さんは大変真面目に立派な弁当を作る
隙間を埋めた形跡がわざとらしい弁当
消費者を馬鹿にした弁当
予約して受け取り、取材現場で開封すると、この有様。3000円近くした鰻弁当。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、コンビニやスーパーの弁当、そして食品業界全般に対する鋭い観察と批判を含んだ文章だ。特に「見た目のトリック」による消費者の錯覚を指摘し、その手法が常態化していることに対して問題提起している点が興味深い。


1. 弁当の「上底」「平坦盛り」の指摘

筆者が弁当を横から見る理由として、「上底」や「平坦盛り」を見抜くためと述べているが、これは非常に実用的な視点だ。実際、多くの消費者は上から見た見た目だけで判断しがちだが、横から見れば容器の構造や詰め方のカラクリがわかる。
これは、食品業界が意図的に行っている手法であり、消費者に「量が多い」と錯覚させるための戦略ともいえる。日によって具材の量が変わるという指摘も、食品業界の不安定な実態を浮き彫りにしている。


2. 「プレミア」や「高級感」の名ばかり化

筆者は、「プレミア」という言葉が形骸化していると指摘する。特に、ポテトチップスの箱入り商品の例は、消費者の期待を裏切る典型例だ。これは弁当だけでなく、食品業界全体に共通する問題である。「見せかけの価値」を演出しながら、実際には内容量を減らしていくやり方は、ある意味で消費者への欺瞞とも言える。
この指摘は、単なる「消費者としての不満」にとどまらず、食品業界の本質的な問題に踏み込んでいる。


3. 「時価」にするべきという提案

筆者は、具材の量が変動するなら「時価」にすべきだという提案をしている。これは一見極端に思えるが、実は合理的でもある。例えば、高級寿司店ではその日の仕入れによって価格が変動するのが一般的だ。
ただし、弁当やスーパーの惣菜に「時価」を導入するのは現実的には難しいかもしれない。消費者の心理として、価格が一定であることを求める傾向が強いため、流通業界のビジネスモデルと適合しにくい面もある。とはいえ、現状の「ごまかし」を放置するよりは、ある程度の透明性を持たせる方が良いという意見には同意できる。


4. 価格上昇と「便乗値上げ」の問題

円安や原材料の高騰を理由にした「便乗値上げ」についても鋭い指摘がなされている。実際、コスト増の影響を受けるのは仕方がないが、それを口実にして中身を減らしたり、質を落としたりするのは消費者に対する裏切りに等しい。
最近の食品業界では「シュリンクフレーション(内容量を減らして価格を据え置く)」が問題視されているが、本質的には筆者が指摘している「姑息な手法」に他ならない。


5. 行政の監視体制への批判

筆者は、こうした状況を放置する行政の監視体制にも疑問を呈している。確かに、誇大広告には一定の規制があるが、弁当の「上底」や「具の誤魔化し」といった手法には明確な規制がない。そのため、企業は巧妙に消費者を欺く手法を取り続けている。
食品の表示義務は年々厳しくなっているものの、「量」や「詰め方」に関する明確な規制はほとんどないのが現状だ。この点について、筆者の指摘は非常に的を射ている。


6. 3000円の鰻弁当の失望感

最後に、実際の事例として3000円の鰻弁当の写真が登場する。筆者はこれを「消費者を馬鹿にした弁当」と表現しているが、これは消費者心理を見事に代弁している。
高価格帯の商品に期待して購入したのに、実際には見た目だけの誤魔化しがあり、内容に満足できなかったという経験は、多くの消費者が共感できるはずだ。特に「予約して受け取った」という状況が、事前に中身を確認できなかった点で一層の失望感を与えている。


総評

このエッセイは、単なる食品の「見た目の誤魔化し」への不満ではなく、食品業界全体の問題点や消費者心理、さらには行政の規制の在り方まで踏み込んだ内容となっている。
特に、「横から見る」という実践的なアドバイスは、今後の消費者行動にも影響を与えそうな有益な視点だ。
また、「便乗値上げ」「プレミアの名ばかり化」「シュリンクフレーション」といった問題は、現代の食品業界において普遍的なテーマであり、消費者がどのように賢く選択するべきかを考えさせられる内容となっている。

筆者の視点は非常に鋭く、食の安全や品質に対する真摯な姿勢が伝わってくる。今後もこのようなテーマについて、消費者の立場からの批評を続けてほしいと思う。

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西田親生@D&L
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