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西田親生の辛口コラム

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世の中は理不尽なる事象が多い。燕雀であるより、呑舟であれ。常に自然体にて威風堂々と、気配りは繊細に。胸襟開いて語り合える心友との出逢いは、善き人生の道を拓く。改革は、若き人たちの…
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#虚言

自分スタンダードの常識ほど非常識なものはない。

<茶碗の持ち方、箸の使い方>  身近なところから語れば、茶碗の持ち方や箸の使い方。礼儀正しく使える人は極稀である。幼い頃から教えられていないところを曝け出し、社会人として公然と赤恥をかいてしまうことになる。

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演技は、何も生み出すことはない。

 格好つけたり、演技に徹したり、自らを理想的人物であるかのように装う人は、その演技とは真逆の人格なのだ。  自然体で堂々としている人は、そのものがその人の人間像であり、信用のおけるエリアに立っている。しかし、演技で自らを加飾する人間は偽善者でしかない。何の存在価値もなく、自然体の人たちからすれば、邪魔なもの。  演技をしなければ自らを表現できないのは、実力の無さ、自信の無さ、自己過大評価の悪癖などのある人物であるからだ。そのような下手な演技を周囲は白眼視するばかりで、人と

守銭奴は当の本人であった

 東京女子医科大学の元理事長逮捕といい、日大の重大事件があったりと、大学のトップが守銭奴であり、名門大学を私物化して独裁状態であった報道を見ると、日本人の精神文化の低迷が見え隠れするのである。  日大事件が発生して逮捕劇になったことは周知の事実。東京女子医科大学の元理事長も同様の立場にありながらも不正行為に至るのだから、呆れて物が言えない。「100%不正はない」と断言していたが、全て虚言であった。  学習能力の無さもあり、兎に角、名声を手に入れ、更には金塊や現金をどっさり

決断力と実行力のない人は、何事も成就せず。

 口では何とでも言える。理想論であったり、はったりであったりと。よって、「言行一致」しない人の言葉は戯言に過ぎず、軽々しく、価値もない。  捌ける人を見ていると勇気づけられる。大いに影響を受け、心が燃える。「決断力」と「実行力」が備わり、常に「言行一致」を旗印として、次へのステップを難なく上り詰めていく。  対して、体裁ばかりを重んじ、偽善者ぶる人は、口先では何とでも語るが、それ以降、頭も動かず、体も動かずして、目の前の期待を裏切るだけで、何事も達成することはない。  

綺麗事ほど信用できはしない

 世の中、綺麗事が多すぎる。表層的に体裁ばかりを整えているのが、綺麗事である。  本音と建前の、建前は綺麗事で済ませ、本音を隠してまでも自己正当化に走る人が多い。  綺麗事は、全く信用できるものではない。裏に何かあるに違いない。だから加飾する必要があり、綺麗事になってしまう。  何故、ダイレクトにそのままを伝えないのか、理解に苦しむばかり。中途半端に知恵を持ってしまった、人間の性(さが)なのかも知れない。 ※書は、筆者自由気まま書「緩」 ▼ChatGPT-4oによる

自己改善ができない人

 他者の大半が、その人物の考え方や価値観について違和感があると苦言を呈することがあれば、大抵の人は、気づかず常態化したものを見直し、改善するベクトルへと進むものだと思っていた。  しかし、現実は真逆なようで、頭の中では分かったように言い訳をするが、その人間の殆どが、自己改善へと向かうことはない。意固地になっているのか、自己愛が強いのか理解し難いが、自己改善ができない人は、可哀想としか言いようがない。  百歩譲っても、おかしな挙動、言動であれば、その人物は、一生赤恥をかき、

虚偽と酒と女で人生を踏み外した人物・・・

 先ず、猫撫で声で近付く人物は、警戒レベル5である。また、虚偽を振り回して正当化を主張する人物もまた、警戒レベル5である。  先ほど、代理店の人物と1時間ほど話していた中で、ふと思い出した人物。虚偽で人生を踏み外した人物だが、何故、自分で吹聴して回った虚偽で自分の首を絞めることになったのかを考えてみたのである。  事の始まりは、その人物が企業経営者に就任し、他県の人間であったために、四面楚歌の状態であった。  また、県外から出向で来ていた人物が、同じ釜の飯を食う人間なが

「成功する方法」って、受け売りか嘘ばかり。

 何かにつけて、自分がいの一番のように旗ふって「〇〇〇〇を成功する方法」とか書いている人多いが、そんな空手形ばかり乱発しても、価値もない。  何かにつけ目立ちたいのか、多くの書籍から抜き取って似非オリジナルとして掲載するのか、自らを天才秀才のように見せ掛けたいのか、首を傾げることが殆どだ。  何の実績もない人が、言葉だけで「〇〇〇〇を成功する方法」を教授するところが面白すぎる。  その他に目立つのが、「モテる方法」、「稼ぐ方法」、「出世する方法」、「浮気がバレない方法」

事勿れ主義の弊害と企業のブラック化

 世の中には「事勿れ主義」を愛する人々が多く存在する。できれば周囲で事件事故や諸問題が起きないことを誰しも望む。しかし、全てを見て見ぬふりをするのは、人として如何なものかと思わざるを得ない。間違いは、間髪を入れずに正す必要がある。被害者は一秒でも早く救わねばならない。  現実を見て見ぬふりをして逃げる人もいれば、自ら火の粉を被ることを懸念して事勿れに動く人もいる。それが隠蔽へとつながり、正義や正論が通らぬ虚構の世界を構築するのである。姑息な人間は、全てと言って良いほど「事勿

「その人、知ってるよ!」を、鵜呑みにするな。

 卯建(うだつ)が上がらない人間ほど、自分とは縁もゆかりもない知名人を、如何にも友達のように軽々に語る。ホテルのエレベーターで会っただけで、知名人をよく知っているように振る舞うような、厄介な人間だ。  そのような人物から、逆に紹介を受ける側に立って考えれば、迷惑でもあり、逆に、その知名人のイメージダウンに繋がる可能性も無きにしも非ず。よって、「その人、知ってるよ!」の軽はずみなことを言う人物には注意を要する。  特に、人気ある芸能人の名前を語ることで、自分自身がそのレベル

人身事故を、情けで物損にしてはならない。

 親しい知人が、生まれて初めて交通事故に遭った。バイク通勤途中で、後期高齢者(90歳近い年齢)が運転する軽トラが一時停止を怠り、真横から飛び出し、彼のバイクに追突したという。  骨折はしなかったが、バイクを運転していた彼はバイクごと転倒。一瞬、呼吸が止まったという。また、分厚い手袋が濡れており、それを見ると血が溢れて出ていた。結局、指の肉が裂けた状態で救急車で病院へ。  彼は会社の中核で活躍する人間だが、病院から自宅へ戻ったのは良いが、会社を長期休むことはできず、3日後に

天使の囁きに耳を傾けよ

 我々の心は、天使と悪魔が共に棲む複雑な場所である。これらは比喩的に、我々の内なる善(善玉菌)と悪(悪玉菌)、良心と誘惑を表している。殆どの人たちは、これら二つの囁きに日々耳を傾け、自身の選択に感化されている。  天使の囁きは、しばしば我々に誠実さと思いやり、他者への配慮を促す。この囁きは、困難な時でも正しい行いを選ぶことの重要性を示唆し、我々を高い道徳的基準へと導くのである。それに反して、悪魔の囁きは短絡的な喜びや自己中心的な選択を示すが、長期的な満足や幸福をもたらすこと

儲け話で、儲かることはない。

 「note」でも、その他のSNSでも、よく「儲け話」を書き込んでいる人がいるが、いつも首を傾げてしまう。本当に確実に儲けるような「儲け話」を公然と書き込むのだろうか。  それらは殆どが詐欺であったり、フェイクであったり、おちゃらけであったりと、罪悪感はないのかと腹立たしく思うばかり。毎日のように詐欺事件などが報道されているが、それは氷山の一角である訳だ。  他人の人生を預言したり、精神的に凹んでいる人の心の隙間に入り込もうとするような人物や書き込みは、正直申し上げて、許

「言い訳」は、お腹いっぱい。

 「言い訳」が飛び交う環境をChatGPT DALL-Eに伝え、イメージしたものを水彩画で生成させると、当然のことだが、腹立たしい画像が飛び出してきた。  「EXCUSES」とは、「言い訳」の意味である。こんなに「言い訳」が山積みとなれば、仕事もプロジェクトも動かないのは理解できる。夢も希望もない、とても嫌な空気感が描写されている。  「言い訳」をしなければならないというのは、決まったことをしていない、口先だけの虚言で済ませていることに対して、不都合なことを「掛け接ぎ(ま