無邪気なところを褒められたら、無邪気じゃなくなる。
「無邪気だね」ってしばしば、言われる。中学生ぐらいの頃までは、天然、ふわふわしてると言われることが多かった。私は無邪気だと評価されるようなところを代償に、世の中を上手く渡り歩ける術を、強いと評価されるような術を、何も持っていない。無邪気なところを褒められるたびに、世の中で生きられるような無邪気さの出し方を学んでいく。ここはいい無邪気さで、ここはだめな無邪気さだと判断する瞬間は、邪気でしかないと思う。
長所ってつまり、人に評価されるものだと思う。人と関わるということは、自分の持っているものを人に評価されるものへと変えていく作業だと思う。
子どもでいるって、絶対的にこの人に評価されなくてはならないという人がいるってこと。自分という人へポジティブな評価をもらうには、その人のためになるような行動をしなくてはいけない。評価は対価でしかない。
大人になるって、絶対的にこの人に評価されなくはならない人の代わりに、周りの環境にいる人間に評価されなくてはいけないものだと思う。人に合わせて、対価の支払い方を変える方法も学ばなければいけない。その代わりに、環境は選べるし、変えられる。
どっちが幸せなんだろう。無邪気さを選べるようになってしまったのは。