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自分の「死亡記事」を書く

ずっと前
あるブログで
「自分の死亡記事を書く」ワークショップ
という記事を目にしました。

「自分の死亡記事」・・
やってみたらいいかなと思ったのですが
友人に話したら

「ほんとにそんなこと、やりたいの?」
という結構クールなリアクション

「そんなこと」か・・

そう思って、結局やらず・・

そして、昨年末、急に
やろうと思って
オンラインで実施しました。

「自分の死亡記事を書く」ってちょっとぎょっとするんですけど
どんな最期を迎えたいか
ということは、どんな今を生きたいか

本当のところ
何かやりたいと思って先延ばしにしてきたことはないか

確かに私たちは「死」の時期や状況をコントロールすることはできません。
(生まれる前に設定してくるという説もあり、たぶんそうなんでしょうけど、それはこっちに置いておいて)

「死」をコントロールはできないけれど
今は変えることができる。

以前友人に
「そんなこと、やりたいの?」
と言われた時の
自分の状況は
「何かをやって、今の状況を変えたい、打破したい」
という感じで、そのために何かを探していたわけで・・

本当にピンときてやるのではなく
これをやったら状況を変えられるかな?
なんとかうまくいけるかな?
っていう苦しみ紛れの案だったわけです。

だからその友人も
全然ピンと来なかったんだと思いますね。

今回はまったく違った波が来ている・・
そんな感じで
波とともに進んでいきたいと思います。

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