周子essay

【6月課題】 作品において、場所とは?

あなたの作品において、場所とは?
「自分の音楽」と「場所」についての考え、もしくはコンサートホールで演奏すること・しないこと、特定の場を想定して作品を書くことなど。

小出さんも書かれていたように、わたしも曲を書き始める前にたいてい演奏家が決まっています。でも演奏される「場所(箱)」については知らないことがほとんどで、あまり気に留めない。

考えてみるとわたしの優先順位は (1) 演奏家 (2) 文脈にあります。そして興味があるのは、その場の緊張感とか空間の在り方をいかにコントロールするかということ。音作り(厳密にいうと楽譜を演奏して音を奏でる行為)ってそれにアクセスするための仕組みだと思ってる。

だからどこでどうやって「聴くか」「見るか」よりも、その場所で演奏することがプレイヤーにどういう(心理的・身体的)影響を与えるかが重要です。それを踏まえてホール以外の場所のために何かをつくるのは面白そう。

(アブリンガーって本質的には「場所」と関係がないのに、そういうファクターを利用して種々のヴァリエーションを成立させてるのが、ビジネス戦略として見事だと思います。これは私の偏った見方だけど!)

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っていうところまで書いて「聴いてくださいシリーズ」の小出さんの新作オケを聴きました。とても心が揺さぶられました、近年稀に見るくらい。

説明がとても難しい&言語化するほどチープになりどんどん消耗する気がする。だから多くは書かないけれど、わたしは、あんな風にもう夢は見ないし、きっと見られない。でも、もしああやって、どこまでも切実に誠実に頭のなかにあるイメージに向き合って音を紡いでいく作業をする(ことがある)ならば、何が生まれるんだろう?

語れば語るほど溶けて小さくなり消えてしまうもの。最後にこんな感覚になったのはいつだっけ。(そういえばリザのRodaというアンサンブル曲を数年前にライブで聴いたとき、頭のなかに青い胎児の映像が浮かんできた。)プリミティブ。

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作曲家が音楽をつくるにはいろんな理由があるんだなあ。このさっきょく塾をはじめていちばん面白いと思ったところはそこでした。最近は「割り切れないもの、説明できないもの」をつくりたいという感覚が強いです、言葉で説明し切れるなら音楽なんて作らなくていいし。

そうそう今年の夏は日本で過ごすのです。カラっと乾いた空気のなかでいかにシャープになれるか勝負をかけるヨーロッパの夏とは違い、ぐちゃぐちゃと色んなものが混じり合う世界。とにかくひたすら作曲しなければ。お茶しようでもこういうコンサートありますよでも楽譜見てくださいレッスンしてくださいお前の曲見せろコラァ(´Д` )でもなんでも、気軽に声をかけてください。

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もはや課題エッセイでもなんでもなくなってる気がしますが(苦笑)最後にもうひとつ。

これまたリザ関係なのですが(すいません、でも仕方ない!ふだんからしょっちゅう話をするのがわたなべさんとリザなんだもの!)彼女たちがいま取り組んでいるオーストラリアのオペラ界構造改革。衝撃が大き過ぎてわたしは今でも混乱中。うーん蝶々夫人が「オリエンタリズム主義者が性差別と植民地主義思想を露わにした悪例」ってほんと??(´Д` ) 

(昨日は山根氏とこの話題でちょこっと盛り上がりました。)


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森下周子
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