【7月課題】 身体と作曲
あなたの音楽は何優位ですか?音?時間?身体性?それとも別の何か?あなたの音楽を読み解く○○を教えて下さい。
そもそも身体性って何なのでしょうね。英語でPhysicalityという場合、特に音楽の文脈では「Physical Presence(身体の在り方)」の意として受け止めることが多いです、わたしは。日本語でも同じなのだろうか。
以前、偶然見つけたピアニストSaiki Michikoさんのドクター論文「The Vocalizing Pianist: Embodying Gendered Performance」に興味深い一節がありました。
クラシック音楽のパフォーマンスでは、器楽奏者は「その人自身」を表出させないことが暗黙の了解となっています。現前化されるべきは音楽であり、それを実行する演奏家は黒子の存在。国籍も性別も姿形すら関係ない(と、される)。
だから彼らが「声を発する(ヴォーカリゼーションを行う)」瞬間、聴衆は「裏切られる」。
黒子であり「見えない、聞こえない者」であったはずの彼らが、実際は身体を、声を、感情を持つ「人間」であることが明らかにされる。
演奏家の身体に歴史的に課せられてきた「静寂」「決まりごと」が覆されるとき。
George Crumb added the pianist’s vocalization in Makrokosmos I as a surprise factor. He states, “When a pianist speaks or sings, the audience is absolutely mesmerized because they don’t expect it.” The audience is betrayed by the fact the pianist actually has a voice that speaks. This awareness implies that the pianist is ‘expected’ to be silent as a servant of music. Therefore, as pianist Milton Schlosser argues in his dissertation Queer Effects, Wilde Behaviour: Frederic Rzewski’s “De Profundis,” performance of the vocalizing pianist reveals “silences and regulations [that] are [historically] imposed upon the pianist’s body”.
(すいません、今回は訳しませんでした、ぜひ各自でトライしてみてください!ジョージ・クラムなどが例にあげられています。)
わたしは「空間の質」に興味があります。Saikiさんが「聴衆が裏切られる瞬間」を上記で描写していたように、偶然の産物ではなく、緻密に管理され計算されたモーメントとしての「質(クオリティ)」の表出。その演出のためのデバイスが「演奏家の身体行為」。逆にいうと、音(の響き)そのものの優先順位は幾分低めかもしれません。オケまで大編成になるとそういうことも言ってられないんだけど...。
しばらくは、この辺を焦点に作曲を続けたいと思います。あ、ゆきちか日々の書簡その7も読んでねー!(ま、ま、まだ楽譜できてない...(´Д` ))
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