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私の強烈なおばあちゃんの話

おじいちゃんは優しかった。おばあちゃんはというと、
なかなかだった。
表現がしずらいのですが、思ったことをすべて口にし、こうしたい、こうしてほしい、これはしたくない。いる。いらない。をちゃんと伝える人だった。

70歳ぐらいの時に離婚したい騒動

まだ幼い私はなぜ今更?と思った記憶があります。
おばあちゃんがおじいちゃんと離婚したいと言い出したのだ。
とにかくおばあちゃんはおじいちゃんが嫌いだった。
私たち孫からするとなぜ?と思うことが多かった。
おばあちゃんは家族や自分の娘達から
「どうしようもない人」と悪口をたたかれていたが
私は今になって思う。おばあちゃんの気持ちがわかる。そしておばあちゃんは自分勝手と言われていたがおばあちゃんなりに我慢のしっぱなしだったんだと思う。

人それぞれの「我慢」は全然違う。

家族からすると全然我慢のできない人というレッテルを張られていたおばあちゃんですが、「我慢」は、自分が思うラインがあり、そこからずれると我慢やストレスが発生する。おばあちゃんは家族のラインとは違っただけ。

おばあちゃんが死んでから知った色んなこと。

最後おばあちゃんは誰にも看取られることなく病院で死んだ。
100歳越えの老衰。素晴らしい最後でしたが、コロナ化もあり病院行くことが誰もできなかったのです。お葬式もあっさりとしたもので、おいおい泣いていたのは初孫だけ。あとは全員、私も含めけろっとしていたのでした。
お葬式は「あー終わった終わった、」となる家族たち。
「おじいちゃんと同じ墓に入りたくない!」という希望はかなえられず
おじいちゃんと同じ墓に入れられてしまうという。。。そんな終わりを迎え、死人に口なし。とはこういうことなんだと思った。

なぜ、そんなにおじいちゃんを嫌っていたのか?

まず、おばあちゃんは楽しいことが大好きだった。町内会のお祭りや、近所のお友達とゲートボールをしたりと活動的だった。そして昔から食事を作ったことがあまりなかったそう。おばあちゃんは50才過ぎまで働いていたそうで、毎日お惣菜が食卓に並ぶのだそうだ。
手作りのご飯の記憶があまりないらしい。
一方おじいちゃんは、友達はほぼおらず、毎日仏壇に向かってお経を読み、毎週、寺に通い神様に手を合わせる。宝くじを買う。ぐらいしか趣味を聞いたことがない。
そんなおじいちゃんはおばあちゃんが町内会の人たちやお友達の旅行は許してくれなかったそうだ。
おばあちゃんの楽しみを奪ってきたおじいちゃん。

おじいちゃんが死んで。

おじいちゃんが死んで自分の人生を楽しもうと思っていたんだろうおばあちゃんは、すでに90歳すぎになり、周りの友達も死んで、楽しむ時期を逃した。そして足も悪くなっていて、あまり歩けなくなっていた。
楽しみたい時期に楽しめなかったおばあちゃんの人生はきっと
「おじいちゃんさえいなかったら、」とそして、動けなくなった頃に死んだおじいちゃん。何とも言えない。

人生一度きり

おばあちゃんの人生を見て思った。自分の為に生きなければ後悔するだろう。人は死ぬ。必ず死ぬのだから悔いのないように、
死ぬときに
「あ~楽しかった!」
というのが私の目標。子供達も自分の人生があり、私にも自分の人生がある。やりたいことがあれば全部しなければいけないな。
もうすぐ50才。
時間があるようでないのだから!急がなくては!!

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